イタリア語

イタリア語とフランス語の両立はむずかしい

2009_171

3週間ぶりにイタリア語のレッスンに行ってきました。

3週間前は下手なりにいつも通りに話してました。

たった3週間離れていただけなのに全く話せなくなっていました。

頭がまだ完全にフランス語モードのままで、イタリア語の単語が全然でてこないのです。

口から出かかった言葉がフランス語であることをかろうじて直前に認識してのみこみ、しばしアーウーうめいた後にやっとイタリア語らしき単語を発するのですが、ことごとく不正確で何か言う度に直されてしまいました。

う~ん、うっかり試験で出てこないようにイタリア語を意識して遠ざけたつけが今ごろになってまわってきた。

バイリンガル、マルチリンガル学習の難点は、他の言語が干渉して知らず知らずにチャンポンになってしまうことです。

外国語教室では私を含めて他の言語を使ってしまう人がよくいますが、あまり度を越すと講師はあまりいい印象を持たないようで、(具体的に誰とはおっしゃいませんが)批判なさることがあります。

もちろん混乱してつい間違えてしまうのは構わないようなのですが、何回指摘しても直そうとしない生徒は相当癇に障るらしいです。

私の場合、フランス語やイタリア語の先生が気を悪くされると困るので、怪しいときはチャンポンになるかもしれないとあらかじめお断りしています。

実は先日のDELFの面接でも、自己紹介でイタリア語も習っていること、したがって話しているうちにイタリア語が混ざってしまうかもしれないと前もって謝っておきました。すると面接官が、自分の生徒でもイタリア語を習っている人がいてよくイタリア語が混ざってしまうと理解を示してくださいました。

さて、イタリア語のレッスンでは一応(いつになるかは不明ですが)CILS対策ということでやっています。教材は"Progetto Italiano 3"というC1からC2受験を対象にした教科書を先生が適当にコピーしてくださいます。

まず30秒与えられ、ざっとテキスト(結構長い)に目を通してどのようなことが書かれているか言わされます。

次に3分与えられ、しっかり読みます。でも正直3分じゃ短すぎる。知らない言い回しも沢山あるし。

そのあと問題をやるのですが、口頭ではなくきちんと書かされます。語数の制限があるものはそれを守って書きます。先生はまず語数を数えるので、試験で超過すると減点みたいです。

また答えを不定詞句で書いたら、上級レベルではきちんとした文章を書かないと駄目なんですって。

内容について正しい選択肢を選ぶ問題では答えの正当性を説明させられるのですが、たった3分間ざっと読んだだけでテキストのどこに何が書いてあったかなど覚えられるわけがない。いつも脂汗たらしながら該当箇所を探しまくっています。

マンツーマンのプライベートレッスンで目の前に先生がいるところで解答を書いていくのも相当のプレッシャーです。

作文はいつも宿題になりますが、フランス語の受験勉強を口実に殆どやったことがありません。実際、イタリア語とフランス語のスペルが似ていて非常にまぎらわしいので、フランス語を書いているとちらが正しいかわからなくなってしまうのです。

でも試験が終わった現在、この口実は通用しなくなった。

秋にDELFを受けるとしても、この夏は少しイタリア語を挽回しとかなくちゃ。

忘れるのが早すぎる。

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イタリア語が退化している

 イタリア語の講読講座をやめたものの、やっぱりイタリア語と接していたいという思いがつのってきました。

ただひたすら言葉だけが好きというポルトガル語や、とりあえずやっておいた方が得だろうというフランス語と違って、イタリア語は言葉そのものというよりイタリアやイタリア人に対する興味がつきないので今まで挫折せずに続けてこられました。

これほど矛盾に満ちて、なおかつ魅力あふれる国や国民は他に見当たらないと思うのですが。

そこで毎週はちょっと無理だけど、1ヶ月に2回ぐらいならとプライベートレッスンに通うことにしました。

フランス語のほうもプライベートなので、これも同じペースにすればそれ程負担もないし。こちらは翻訳や作文を添削してもらうことに重きをおいているので、あまり頻繁だと出来ていないうちにレッスン日がきてしまって、殆どの時間が会話練習になってしまうのでちょっともったいないです。

ええとつまり、あまりに下手くそなので自分が喋っているうちにいやになっちゃうんです。

これがポルトガル語のレッスンだと、ポルトガル語を喋ってるというだけでどんなに拙かろうが楽しいんですけど。

 ところで今までもイタリア語をしばらく休んだことはあるし、今回もそれほど間をあけずに再開したのですが、何と喋れなくなっていました。

忘れたというよりフランス語が邪魔して、何か言おうとしてもフランス語の単語が浮かんでしまうのです。双方とも似ているので、瞬間言おうとする言葉がイタリア語だったかフランス語だったか混乱してわからなくなってしまいます。

先日もRaccomandoラコマンド(私は薦める)というつもりで

Reccomandoレコマンド(仏ではrecommandeルコマンドゥ)と言ってしまい、指摘されても初めのうちは気がつきませんでした。

ちなみに綴りもイタリア語はCは2つでMは1つ、フランス語はその逆で混乱します。

非常によく使う「IL」はイタリア語では定冠詞男性単数、フランス語は「彼」の主格を指し、「LUI」はイタリア語では「彼」の主格、フランス語は間接目的語「彼に」となり、とっさにわからなくなってしまいます。

いかんいかん、何とかせねば。

一応イタリア語の先生には、来年あたりCILSのC2を受けたいと言ったのですが、きっとお腹の中ではこんなひどいイタリア語なのによくそんなことが言えるもんだと思われているに違いありません。

でも正直、フランス語より楽しいです。

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DELF申し込んじゃった

フランス語の試験DELFを申し込みました。イタリア語のCILSみたいなもんです。

レベルはB1です。少々やさしめかもしれませんが、あくまで今年12月の通訳案内士試験2次に備えて面接に慣れておこうという位置づけなので、受験勉強せずにすみそうな級をえらびました。結果はどうあれ秋にはB2を受けようと思っています。

フランス語のレッスンでは、ガイド試験の聖典「日本事象300選」の日本語文を仏訳しています。

相変わらず冠詞の間違い甚だしいです。語彙の選択もおかしいです。

この間も「回転寿司は普通の寿司より安い」という記述で「普通」をordinaireと訳したら、これは「高級な」の反対語で「並みの」「安い」という意味になってしまうので形容矛盾だと言われてしまいました。normalも回転寿司がanormalなわけではないので使えないと。

先生はclassiqueと訳しました。日本語で「従来の」という感じでしょうか。

このようなごくごく簡単な単語でもダメ出し続出。

「もち米」は私の電子辞書(プチ・ロワイヤル和仏辞典)ではriz gluantと出ていますが、riz collantなんですって。

面倒臭くなって和仏辞典の記述を丸写しにしていくと、いつもなんじゃこりゃといった感じで直されてしまいます。

ところで、イタリア語のほうは今年に入ってペースダウンです。

講読のクラスはやめてしまいました。ちょっと飽きてしまったのと、予習に時間をとられてしまうからです。

このクラスは、先生が前の週に配布した小説の抜粋や記事のコピーを皆で読んでいくというものでした。私は非常に飽きっぽいので、一冊の本を最後まで読むという形式では長続きせず、このやり方が合っていましたし、先生と本の好みが似通っていたので、初めのうちはとても面白く読んでいました。

でも、さすがに長い間同じ人間が好きなものだけ選んでいると、毎回変わりばえのしないものばかりになって、興味も徐々に失せしまいました。

フランス語もやらなくちゃいけないし、そんなわけで去年でストップしました。

一応ラテン語の授業でイタリア語を使っているので、それでよしとしています。

2009年度の実用イタリア語検定の試験日がもう発表されていますが、2次は12月6日でまたしてもガイド試験(こちらは日程未定)の2次と重なりそうです。まったくイタリア語学習者に対する配慮が欠けています。CILSもまた同じ日になるんじゃないかなあ。

仏検はDELF/DALFはもちろんのこと、英検や独検とも重ならないように予定が組まれているらしいです。

ということで、今年もイタリア語の試験は受けられそうもないので、とりあえずフランス語に軸足をおいてやっていきます。

それにしても超下手で、自分で喋っていて嫌になってしまいます。

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CILS対策講座が来月末から始まります

 イタリア文化会館語学講座の春学期のプログラムが出ました。

一般の講座は4月13日から始まりますが、CILS対策講座は試験日(次回は6月7日)に合わせて早く始まります。

A1: 3月30日~6月8日

   月曜18時~19時30

A2:  4月4日~6月13日

   土曜9時20~10時50

B1: 4月4日~6月11日

   木曜19時40~21時10

B2: 4月4日~6月13日

   土曜18時~19時30

最後のレッスンでは6月7日に行なった試験問題の答え合わせをするそうです。

申し込み締め切りは3月28日です。

財政難の折りからか1クラスの最低人数が引き上げられたので、締め切りまでに申し込んでおかないと人数不足でクラス不成立の可能性があります。平日19時40分以降と土日は6人以上、それ以外は5人以上集まらないと開講されないようです。

CILS受験の申し込みは3月1日~4月25日です。

まずはお知らせまで。

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イタリア文化会館で仮装大会がおこなわれます

今月28日に九段のイタリア文化会館で仮装大会がおこなわれるそうです。

先生方は参加が義務付けられているらしく、今からアイデアに頭を悩ませていらっしゃいます。

ここのスクールではテレビイタリア語講座でおなじみの方々も教えていらっしゃいますが、当日はどんな扮装をなさるのでしょうか。

もちろん一般の参加者も大歓迎だそうで、賞品がいろいろでるそうです。

コンテストには子供部門もあるそうですので、自分はちょっと恥ずかしいけど子供に仮装させちゃおうというお母さんもどうぞ。

入場料は3000円だそうです。コンテスト参加申し込みの締め切りは21日です。

詳しくはイタリア文化会館(こちら)にお問い合わせください。

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イタリア語のびなやむ

ひょんなことから始めてしまったフランス語にふりまわされて、夏以来イタリア語やポルトガル語がおろそかに。

もうすでにポルトガル語はおけいこ納め。

最後のレッスンではおやつをいただいたあと(いつもおやつが出てきます)プレゼントをもらっちゃいました。

まあポルトガル語はのんびりやっていくつもりなので早急にできなくてもよいのですが、それにしても喋れない。

住んでいる自治体でポルトガル語のボランティアを募集していて、病院や役所の手続きに付き添って通訳するらしいのですが、応募したくても今の段階じゃ到底ムリ。かえって迷惑かけちゃう。

とりあえずの目標はポルトガル語でお役にたてられるようになることです。

それよりもっと深刻なのがイタリア語。

フランス語のレッスンで「ああ、イタリア語だったらもっとちゃんと話せるのに」と思いながら自分のフランス語の下手さを嘆いていたのですが、試験も終わりイタリア語の授業に復帰してみたら、フランス語に負けず劣らずヘタクソだった。

そこである事実に気がつきました。

フランス語のレッスンで全然出来ないと感じるのは、先生が一切助け舟を出さないから。

とにかくいったん話し始めたら自力で文章を完成させなければならないのです。

言葉につまって救いを求めるまなざしをむけても先生は無表情に黙ったまんま。とにかく自分で必死に言葉を探して話を終わらせなければなりません。

話し終わって初めてあちこち間違いを指摘されるのです。

(これにもヘコむ)

まあ言ってみれば非常にキビシー先生なのです。

翻って先日出席したイタリア語の授業では、こっちが上の句を言うと先生が下の句を言っちゃうよ。ひどい時などこちらが冠詞もつけずに単語をひとつ言うだけで、先生がそのキーワードをもとにこっちの言いたいことを全部言ってくれちゃうのよね。

こっちはただ「そうそう」とうなずくのみ。

入門や初級のクラスでは、先生の質問に生徒が冠詞もつけずに単語だけで答えるパターンが多いけど、何とわたしもそのレベルだった。

先生はイタリア語教師歴が長いの方なので生徒が言わんとしていることを汲み取るのに非常に長けていらっしゃるのですが、ベテランすぎて日本人の生徒に合わせすぎるキライがあるかも。

現在受講しているクラスは講読中心で、レベルはかなり高いです。

クラスメイトはあちらに長らく住んでいらしたり、大学でイタリア語を専攻なさったりした方々で、中には学術書の翻訳を手がけていらっしゃる方も。私だけが純国産の門外漢です。

このような諸先輩にもまれて読む力は本当についたと思います。

ただ話すほうが・・・

もちろん授業はイタリア語のみでおこなわれ、先生がテキストの内容について質問をバンバン投げてよこします。

生徒は我先に答えていくのですが、私の場合とっさに文章化できず、しばしば単語のみ冠詞もつけずに言ってしまうのです。

先生としては答えの内容が正しければ良しとなさるので、このようなお粗末な解答でも「Bene」となり、あとはご自分でちゃんとした文章にして答えを繰り返します。

その文章をワシにも言わせてけれ!

内容についての質問の次は、生徒一人一人に意見を述べさせます。

でもこれが百人一首(上の句の読み手=わたし、下の句の読み手=先生)になっちゃうのよね。

まあ、とうとうと自分の考えを開陳できない私が悪いんだろうけど。

ものすごく話しが弾んでたくさん喋った気になるけど、本来自分が言うべきセリフの発話は3割あるかないか。

代わりに先生がみんな喋ってくれちゃいます。

でも先生は生徒に話させているつもりらしい。

これじゃあイタコだよ。

このような傾向は前から気になっていたんだけれど、フランス語の学習を通じてはっきり実感するようになりました。

以前は会話中心のクラスで話す力はそれなりについたものの読むほうが弱かったけど、今は逆転。

むずかしいものです。

また勉強の方針を変える潮時かな。

      

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ノンロソッ!

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 以前のことですが、イタリア語のクラスメイトがふっつり来なくなりました。

フリーランスで活躍なさっていた方だったので、仕事がいそがしくなったのだろうと気にもとめず、じきに私もそのクラスをやめたので消息を聞くこともありませんでした。

先日、つけっぱなしにしていたテレビニュースでその方の名前が聞こえたので何だろうとテレビの前に行くと、彼女が自ら命を絶ったことを伝えていました。

とても美しい方でした。ほんわりとしていて、いまどきの新興令嬢とは異なる本当のお嬢さんでした。

マスメディアにかかわる仕事をなさっていたにもかかわらず、その世界の人にありがちなすれたところが全くなく、少女がそのまま大人になったような無邪気な雰囲気をたたえていました。

反面、マイペースも筋金入りで、他人には決して侵させないといった芯の強さも感じられました。

一緒に学んだイタリア語の授業は予習が前提で、先生が次々と生徒を指して質問をぶつけていく形で進められます。

生徒は一応事前に準備して授業にのぞむのですが、しばしば答えに窮することもあります。苦し紛れに思いつく限りのことを言ってみますが、先生が見当違いの答えを容赦することはなく、追求の手もゆるめません。

ただその方だけは、質問が自分の手に負えないとわかるや(あまり予習もしていらっしゃらなかったのですが)、すぐにためらうこともなく可愛らしい声で

"Non lo so!"(ノンロソッ、わかりませんっ)

とおっしゃるのです。

彼女に限っては先生も仕方がないわねえという感じで笑い、他の人に同じ質問を振り向けました。席順の関係で、お鉢は大概こちらにまわってきてあたふたさせられたものです。

私も堂々とノンロソッと言いたかった。

悲報を聞いた途端,ノンロソッという可愛らしい声が耳元に蘇ってきていまも耳から離れません。

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秋学期にCILS準備コースが

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 毎日たらたらオリンピックを観てます。

それにしてもマイケル・フェルプス氏はすごい。

彼が出てくるたびに「お早うフェルプス君」と声をかけてしまうのは私だけだろうか。(スパイ大作戦毎週みてました。)

 ところでイタリア文化会館の秋期プログラムがでました。

いろいろ新しい講座が創設されていますが、その中にCILS準備コースを発見。

先学期は1日だけ(2日だったかな)の集中講座でしたが、来学期は週一回のレギュラーコースになっています。

対象はB1とB2です。

B1コースは日曜14時ー15時半、B2コースは日曜10時半ー12時です。

先生はわかりません。先学期はサラ・ファルキという方でした。

まずはお知らせまで。

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イタリア語がポルトガル語に侵されていく

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  ポルトガル語の入門コースが終わりました。

動詞の活用はSER、ESTAR、TERと基本形のAR動詞を学んだだけにもかかわらず、最後のころにバタバタと2種類の現在進行形(estar a+不定詞とandar a+不定詞:ブラ語では不定詞ではなく現在分詞)や不定詞の複合過去形なんかがでてきました。

色々な言い回しも習いました。でも覚えきれません。

それでもだいぶポルトガルポルトガル語に耳が慣れてきて、先生のおっしゃることが聞きとれるようになりました。

ペソアの詩集”Mensagem”の中の”Mar Portuguesポルトガルの海”(こちらで朗読もきけます)という詩も読んで暗記させられました。(ペソアはポルトガルの発音だとプッシュアと聞こえます。)

ポルトガル人にとっても海は特別の存在だそうですが、日本人の抱く海のイメージとはかなり異なるようです。

我々の思い描く海は、多くの場合岸から見える範囲、つまり沿岸に限られると思いますが、ポルトガル人のイメージする海は、かつて先祖がのりだしていった大海原のようです。

かたや西の果て、かたや東の果てと双方大洋に面した国でありながら、大航海時代を築いた国と長らく鎖国をしていた国では同じ海でもイメージのスケールがずいぶん違います。

 さて、ポルトガル語も少しは慣れてきたかなというところまできましたが(別に喋れるようになったとかでは全然ないです。自己紹介に毛がはえた程度です)、困ったことにイタリア語を喋っているとポルトガル語が混ざってしまうのです。

イタリア語のクラスメイトで、私より少し前にポルトガル語を始めた方がいて、しばしばポルトガル語の単語を交えて話すので面白がっていたら、私にも伝染ってしまいました。

双方似てるんだけどちょっと違うんです。もちろん同じ単語はたくさんあります。でも同じだったりちょっと違ったりするので、余計混乱してしまいます。

 ある本で読んだのですが、複数の外国語を習うと、一番最後に学んだ言葉が他の言葉を邪魔するんですって。

そういえば、ポルトガル語を話している時はイタリア語は干渉してきません。言葉をさがしながら考え考え喋っているからでしょうか。

イタリア語やラテン語のクラスメイトの中には多言語学習者がたくさんいらっしゃり、中には同時に5カ国語も学んでいる猛者も。

面白いことに、その方々のイタリア語をきいていると、最近何語を習い始めたかわかることがあります。

ある方は、ほぼ一年ごとにスペイン語、フランス語、ポルトガル語と混じる言葉が変化し、語学学習の変遷をたどることができます。

でもこの混乱って同系統の言語に限って起こるのかしら。

そういえば、以前ドイツ語のクラスメイトが中国語とフランス語を習い始めて、フランス語はよく出てきちゃったけど中国語は全然でてこなかったなあ。

この辺をちゃんと科学的に研究した人っているのかしら。

いずれにしろ、最近イタリア語を話すと脳に混乱をきたしているのがわかって、それを客観的に観察するのが面白いです。

でもちょっと変な感覚です。脳のどっかがちょん切れなければいいけど。

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イタリアでは狐じゃなくてクモが憑くらしい

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 イタリアの文化についての講座をとってます。宗教、芸術、思想などを通してイタリアの全体像をつかみ、イタリア人のアイデンティティーを探っていこうという趣旨らしいです。

 前回はヴァチカンの集金マシーンについてやりました。

凄腕の金庫番がいます。でも怖い世界みたいです。近づかないほうが良さそうです。

 さて今回はキツネ憑きならぬクモ憑きをやりました。

Tarantismoといいます。プーリアなど南イタリアのみに見られた現象だそうで、一説では毒ぐもに噛まれたためその毒でひきつけを起こす現象ともいわれていますが、神がかりPossessione,つまり一種のヒステリー状態になっちゃうんです。主に女性の間で見られるようです。

 クラスで'50年代に撮影されたドキュメントフィルムをみました。

クモ憑き女性の家で村の楽師がバイオリン、タンバリン、ハーモニカなどでテンポの速い曲を奏でてお祓いEsortismoをします。クモ憑き女性は音楽にあわせて奇声をあげながら激しく動き回り、最後に気絶すると憑き物が落ちます。楽師たちは普段は床屋さんや農業などを営んでいますが、お祓いの専門家でもあるのです。

こちらの映像はたぶん映画の一コマだと思いますが、クラスで見たフィルムもクモ憑き女性が気を失うまでこのような速い音楽をずっと奏でていて実際こんな感じでした。)

聖パウロはこのクモ憑きの守護聖人だそうで、6月29日にはSan Paulo di Galatina教会で大祭が行なわれていました。

映像では近隣からつぎつぎとクモ憑き女が教会に運ばれてきて、大声で奇声をあげながらところせましと駆け回ったり床でのたうちまわったりしてます。大きなイベントなので教会のまわりではブラスバンドが音楽が鳴り響かせながら行進し、日が暮れると煌々とイルミネーションが輝き夜店が軒を並べます。

人々のさんざめきと楽隊の音楽とクモ憑き女の奇声が渾然一体となり、イルミネーションの輝きもあいまって妙にシュールな印象をうけました。こういうのってどこかで見たことがあるなあと思ったら、まさにフェリーニの世界でした。

ああいう喧騒、猥雑、混沌ってフェリーニが子供のころの記憶を自分のイメージにあわせてデフォルメしたものだと思っていたけど、昔は地方に行けばどこでも見られた光景だったんでしょうね。

 イタリアの田舎でも近代化とともにクモ憑きも消滅していきましたが、サレントの若いアーチストたちがこのクモ憑き音楽を現代的なポップにアレンジして人気を博しているらしいです。

i Manekaもそのひとつです。

みなさんご存知のことと思いますが、クラシック音楽の舞曲のひとつであるタランテラはこのTarantismoの音楽からきています。

私の好きなのはショパンとヴィニアフスキーのタランテラです。

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A.C.ジョビンとV.ヂ・モライスがイタリア語で話してた

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 暇つぶしにYouTubeでブラジルのアーチストの映像をいろいろみてたら、ボサノヴァの創始者アントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ヂ・モライスがイタリア語で喋っていましたよ。(といってもジョビンはただ相づちを打っているだけだけど)

イタリアのライブだったようです。

ヂ・モライスはブラジルの大詩人であり、元祖ヘタウマの巨匠です。

「黒いオルフェ」(後の映画ではなく舞台です)の脚本を書き上げ舞台音楽の作曲家を探していた時、ある人に紹介されたのがジョビンでした。

ちなみにこのときの舞台の美術担当は首都ブラジリアの主要建築物を設計したオスカー・ニーマイヤーです。

 ところでこのイタリアでのライブでは、2大巨匠のほかにトッキーニョとミューシャも出演しています。

イパネマの娘 Garota de Ipanema

Tarde em Itapoa

Vai Levando(はじめにミューシャとトッキーニョが歌っているのはSamba pra Viniciusです)

Samba de Orly

ボサノヴァファンにとってはとても貴重な映像です。

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古代ローマにも大安や仏滅みたいなもんがあったらしい

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 今学期になったらラテン語の受講生がガクッと減りました。

ものの見事に若い順から半分スパッといなくなってしまい、急に平均年齢が上がりました。

実用性は全然ないし、易しいとは言い難いし、純粋に趣味として楽しめないと続かないです。

しかし、もしロマンス諸語を深く学びたいのであれば、ラテン語の勉強はとても有益だと思います。

 ところで以前習った先生もそうでしたが、古典学を専門的に学んだ人というのは実に博覧強記です。この学問の守備範囲が哲学や歴史、文学、神学など人文科学のみにとどまらず、数学や植物学など自然科学までおよんでいるためでしょう。

現在習っている先生もすごいです。受講生が少なくなった分のんびりムードが倍増し、先生の脱線トークも活発になってきました。教科書そのものをやっている時間より先生がウンチクを傾けている時間のほうが長いくらいです。(早く先に進んでも消化不良になってしまうし、先生の話がとても興味深いのでこの方が歓迎です)

先生はローマおたくといえるほどローマ時代に詳しいし(当たり前か)、日本人よりローマ人の末裔たるイタリア人のほうが、その土地で生まれ育った者の強みで言うことにも実感がこもっているし、有難味も増してきます。

 さて、クラスで使っている教科書は、ローマ時代の生活や習慣、制度などをラテン語を通じて学ぶという体裁をとっており、今やっている章は当時の暦がテーマです。

超がつくほど厄介です。

初期には太陰暦を用い、1年は10ヶ月にわかれていました。現在の3月が当時は第1の月とよばれ、4月が第2の月、5月が第3の月と続きます。

その名残で現在でもヨーロッパ諸語では9月から12月までは第7から第10の呼び方(英語ならSeptember~December)が残っています。

なぜ3月が第1の月かというと、この時期に農作業が始まることが主な理由ですが、先生によれば戦争もこの時期から始めたそうです。後にローマ神話の神の名が与えられますが、3月はマルス、戦いの神です。

さすがに1年10ヶ月ではかなりズレが生じるので3月の前に2ヶ月追加されました。1年の初まりの月、Ianuar=Januaryには2つの顔を持つヤヌス神が当てられました。2つの顔はそれぞれ新旧をあらわしていて、年の初めをかざるのにふさわしい神だそうです。

 さて、ジュリアス・シーザーは太陽暦であるエジプトの暦を参考にして大改革をおこないました。これがユリウス暦とよばれ、今日でもギリシャやロシアなど正教(オーソドックス)の国々で用いられているそうです。

ちなみに世界で一般に使われているグレゴリオ暦は、16世紀にユリウス暦を改良してつくられたものです。

ローマ帝国時代のカレンダーの読み方はややこしいことこのうえなし。

1日(ついたち)はkalendaeといいます。カレンダーの語源らしいです。

次の日を第2の日と呼ぶかと思えばさにあらず。月の第5日または第7日(月によって違う)をnonaeと呼ぶのですが、第2日以降はnonaeの~日前という言い方をします。(数えるときはnonaeを1日目として含めます。)

例えば1月のnonaeは5日ですが、1月2日だったら1月のnonaeの4日前(厳密にはnonaeから数えてさかのぼること4日前)といいます。nonaeの前日は文字通りnonaeの前日といいます。

そしてめでたくnonaeを迎えると、つぎにidusというヤツが。

これも月によって第13日だったり第15日だったりしますが、nonaeを過ぎると今度はidusの~日前といいます。

1月はidusが13日ですから、1月11日は1月のidusの3日前、12日はidus前日となります。

しかし厄介な本番はこれからなのです。

その月のidusまでは、例えば1月のidusまでは1月の何とかといいますが、idusを過ぎるともう次の月、つまり2月の何とかといわなくちゃならないんです。

1月のidus(13日)の翌日、1月14日は何と2月のkalendae(ついたち)の19日前(kalendaeから数えて)になっちゃうんです。

つまりidusの翌日からは、翌月のkalendaeの~日前というふうになります。

そうです。普通われわれは日にちを加算していきますが、ローマ人は目標となる日を定めてその日まであと何日(オリンピックまであと何日みたいな)と引き算していくのです。

ローマ人はよっぽど引き算が好きなようです。数字も99は100ひく1(un-de-centum)というし。

 ローマの暦には多様な文化が色濃く反映されています。ケルトやエトルリア、ラテンのみならず、ゲルマンやエジプト、また多神教とキリスト教などその時代時代の要素を取り入れ変化してきました。

 7月はユリウス(カエサル)、8月はアウグストゥス帝など支配者の名を冠したのみならず、8月は30日だったのをアウグストゥスがシーザーの月より短いのはヤダと31日にしてしまったり人間のドラマも垣間見えます。

 おもしろいのは、日本の大安や仏滅のような吉日、凶日があり、そのほかにも集まりの日などがあったそうです。凶日にはなにもやってはいけないとか、民会を開く日などそのカレンダー(日本の六曜みたいなものか)に基づいていたらしいです。

授業でkalendae(イタリア語ではcalende)が出てきたついでに、calendeを使ったイタリア語の言い回しを習いました。

andare alle calende greche

意味は約束の日や期日をチャラにするといったことのようです。借りた金を返さない、なんていうときに使うらしいです。何故ギリシャかというと、ギリシャの暦にはcalende(という言葉)が存在しないので、その日を期日にしても実現しっこないということらしいです。

 ところでこちらは英語のサイトですが、ローマ時代の暦について説明があります。

 ちなみに私は日本の旧暦復活を願っています。

日本の伝統行事の多くは旧暦に基づいているので、新暦でやると実際の季節とずれていてものすごく違和感を感じます。

 

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イタリア書房でセールが始まりました

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 イタリア書房が今年創業50周年をむかえるそうです。

それを記念して「50周年創業セール」を3月3日(今日だ)から4月30日までおこなうとのお知らせが来ました。

教科書と辞書が10パーセント、その他の店内にある全商品が5パーセントの割引だそうです。

さらに期間中に3000円以上買うとオリジナルエコバッグがもれなくもらえるそう。

新学期に向けてイタリア語、スペイン語、ポルトガル語の辞書や参考書を揃えようという方は今のうちに。

 今使っているイタリア語の辞書で結構重宝しているのが、イタリアの小学生向けに編纂された伊伊辞典"Il mio primo Dizionario:Nuovo Miot"です。

小学生向けと侮るべからず、取り上げられている単語は3万語もあり、定義も明解です。イディオムや例文もしっかり載っています。

 ネイティブの授業の予習で伊和辞典を使うと、いったん日本語にしたものを再び別のイタリア語の言い方に直さなければならないので面倒くさいですが、この辞書を使うと最初からイタリア語の平易な言い回しで説明ができるのでかえって楽です。

イタリア書房の中央の棚によく平積みになっています。表紙のイラストもかわいいですよ。

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日仏通信講座第1回目書き終えた

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  日仏学院の通信講座"Grammaire et Dicte'e"の1回目の課題をやっと書き終えて郵送したところです。

 思ったより時間がかかってしまいました。というのもフランス語には長いあいだふれていなかったので、特に書くのはずっとイタリア語(とドイツ語)のみだったので、実際仏文を書く段になってみると、つづりがみんなイタリア語になってしまうのです。

 例えばフランス語の前置詞A’の後ろに女性定冠詞LAがくるときa' laと離して書きますが、つい無意識にallaとイタリア語式に書いてしまいます。SYMPATHIQUE仏(=SIMPATICO伊)などのYもついIにしてしまったりHを抜かしてしまったりします。

 急いで書けば書くほどこのようなミスを頻発するし、スペルも相当あやふやで、結局、1語ずつ辞書で確認しながら書くことになってしまいました。

 イタリア人が仏文を書くとき、また逆にフランス人がイタリア語で書くとき、自国語のつづり方に引きずられないのでしょうか。

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日仏学院の通信講座はじまりました

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 今年からフランス語を再開しました。

 前にも書いたと思いますが、イタリア語の歴史を勉強していたら兄弟分のフランス語の成り立ちも少し知りたくなりました。

 日仏学院の通信講座で「Origines de la langue et la civilisation francaises」というのを見つけたのですが、ずいぶん長い間フランス語から遠ざかっていたので、いきなり受講しても荷が重そうだったので、ちょっと復習のつもりで「Grammaire et dicte'e」(文法とディクテーション)というのを申し込みました。

 日仏の通信は以前何度かお世話になりました。当時は教科書も学院が編纂したものが課題と一緒に送られてきたものですが、今では指定された市販の本を自分で買わなければならないんですね。

 私のとったコースではグルノーブル大学(P.U.G)が編纂した「L'expression francaise e'crite et orale」という解説と練習問題が載っている教科書と「Corrige' des exercices」(解答集)を使います。

 自分で解説を読んでから練習問題を解き、解答集で答え合わせをします。そのあと学院から送られてきた課題をやります。

 フランス語相当忘れてます。イタリア語を習い始めたとき、文法はフランス語の知識をかなり援用したのですが、似ているといっても細かい部分でだいぶ異なります。当時はフランス語にひきずられた間違いをしていたものです。

 イタリア語との付き合いが相当深まった現在、課題をやってみると反対にフランス語がイタリア語に引きずられてしまいます。たとえば間接話法など従属節で「過去における未来」をあらわすとき、フランス語では条件法現在をつかいますが、イタリア語では条件法過去を使います。

 イタリア語を習い始めの頃は、いつも条件法現在を使ってしまい直されたものですが、今回フランス語で無意識に条件法過去を使ってしまいます。

 接続法の使い方も結構異なるので注意が必要です。

 再び慣れるまでしばらくかかりそうです。

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あけましておめでとうございます

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 あけましておめでとうございます。

 今年も皆様にとって良い年になりますよう、特に外国語を学んでいらっしゃる同志のかたがたの一層の飛躍をお祈り申し上げます。

 今年の決意。

1: NHKラジオ講座を毎日聞くこと。

  いつも録音を溜め込んでしまって結局聞かないことが多かったので、今年はその日のうちに聞きます。

2: Le MondeLa Repubblicaの記事を毎日ひとつずつちゃんと読むこと。

  これもプリントアウトだけして読まずに溜め込むことのないように、その場で読みます。

3: ラテン語の復習をちゃんとやって、格変化や動詞の活用をしっかり覚えること。

  授業の進み方がゆっくりしているとはいえ、既にいろいろな型の名詞や形容詞がでてきて、格変化を全部ソラでいえなくなってしまいました。ハイ、授業当日しか教科書を開かなくなってしまいました。せめて翌日も開いて復習します。

 あまりいろんなことを宣言しすぎても計画倒れになってしまうので、この3つだけにしておきます。

 それにしても、今までこんな簡単なことすらできなかったっていうのは何たる意志の弱さよ。どんどん上達する人って、このような小さな積み重ねをちゃんと続けられるんだろうなあ。

 それでは皆様、本年もよろしくお願い申しあげます。

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今年をふりかえって

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  今年も最後となったので、反省を少し。

今年はイタリア語に少し集中しました。一昨年、昨年、今年と検定試験を受けて痛感したのが、読む力がものすごく弱いということ。

 そもそもイタリア語を始めたのは、イタリアを旅行したときに、買い物やレストランで現地の言葉で用が足せればいいな、というほどの軽い動機で、ちょっとイタリア語で会話できるようになるだけで満足だったのです。ただ、せっかく始めたからにはすぐやめるのももったいないとだらだら続けていたのですが、数年前、ちょっと自分のレベルがどのくらいか知りたくてとりあえず2級を受けました。何とか受かったのですが、2級の時でさえちょっと読むのが駄目だなあと感じました。

 もともと話すのが目的で習っていたので、通っていたクラスも会話中心で、読むものといったらせいぜい教科書にのっている1ページたらずの小説の抜粋や、新聞記事を易しくリライトしたものでした。さすがにこれだけでは1級に受からないのも当然です。クラスでいくらアウトプットさせられても、インプットがお粗末だと永遠に幼稚な会話しかできません。自分で原書を読み始めたのですが、わからないところは読み飛ばすので、読み終わってもわかったようなわかんなかったようなうすぼんやりとした印象しか残りません。

 そこで読解力をつけようと幾つか講読クラスを覗いてみました。すると講師が日本人のところは例外なく同じやり方だったのです。すなわち、生徒があらかじめ家で日本語訳を書いてきてクラスでそれを読み上げ、講師は「そうですね」といって、間違いがなければさっさと次に進めばいいのに、またその部分を訳し直すのです。私としては、各文章の細かい解説を期待していたのですが、ただえんえんと生徒と講師が訳を読み上げるだけで、単に横のものを縦に直しているだけでした。これらのクラスを見学した限りではあまり読解力の向上に役立たないのではないかと思いました。

 そんなわけで、次に覗いたのがネイティブ講師による講読クラスです。クラスによって、あらかじめテキストが配布されていたり、その場で読まされたりとありますが、いずれも講師がどんどん内容について質問を浴びせていきます。簡単な文章でも「つまりこれは言い換えればどういうことか」とか「結局この部分で作者は何をいいたいのか」とかそれはしつこく聞いてきます。すると何となくわかったつもりでいたところ(つまり横から縦にできたところ)も、つきつめられるとちゃんと理解していなかったことがわかります。また、ある文章のニュアンスが肯定的か、否定的か、皮肉がこめられているか、など細かいところも講師はどんどんついてきます。

 結局ネイティブによる講読クラスが自分の目的に沿うように思い、以後その路線で受講しました。ただ、このやり方は講師の力量が問われるので、講師を選ばなければなりませんが。それでも、講読クラスを受け持とうという人はそれなりの自信がある人たちだからでしょうか、他のコースよりハズレが少ないです。

 講読クラスに通い始めたからといって、一朝一夕に読解力が備わるわけではありませんが、今年受けたCilsや実用検定試験をふりかえると、語彙はまだ圧倒的に不足していますが、文意をとらえる力は以前より多少ついたかなと思います。といってもまだまだ不十分で、去年と比べればの話です。

 イタリア語にウェートをおいた結果、顧みられなかったのがドイツ語。秋から講座に通ったものの何か休みがちになってしまいました。初級で使う教材を上級でやるという企画に多少無理があったのかも。受講者は全員すでに中級を終えた人たちでした。最初の2回ぐらいは結構充実していたのですが、その後はちょっとね。初級にいたときも何回か同じ教材をやったのですが、授業の進め方が初級のときと今回と全く同じ。したがって初級なら授業時間いっぱいかかる作業もすぐ終わってしまうので、なにかそれをもっと発展させて高度な作業をやるのかと思いきや、結局雑談に終始。まったく意味の無いゲームもやらされたし。もっとちゃんとした授業計画がたてられていたのかと思っていました。これは好みの問題かもしれませんが、クラスの人数が少ないときでも(何と4人のときも)2人ずつ組んでグループ作業をさせられるのもね。

 そもそもグループ作業とは、人数が多くてなかなか生徒が授業に参加できないときや、とくに初級クラスなどで、気おくれしてなかなか積極的に発言出来ない生徒が、不安なく作業に参加できるための方法です。作業によっては、人数が少ないときには全員が一緒に参加して作業を進めていったほうが、いろいろな意見がでてクラスも活性化すると思いますし、他の生徒の間違いを講師が指摘するのを聞くのもとても勉強になります。

 それにしても、ドイツ語スクールはもっと営業努力をしてほしいものです。団塊の世代など中高年が再び学び始める一方で若年層の学習者がジリ貧なのに、いまだに留学や検定試験を目的とした実用的な講座を中心にプログラムが組まれています。少しはライバルである他言語のスクールの文化講座を参考にしてほしいものです。面白そうなテーマ別の講座が全然ありません。

 全ての外国語にあてはまると思いますが、中高年の語学学習者の多くは、学習年数を重ねるにしたがって、学問や仕事などで求められる実用的な能力の向上を目指すよりも、言葉を通じてその国の文化や歴史、人々の生活などを学ぶことに関心を抱いてゆくのではないでしょうか。いずれのドイツ語スクールも、このような学習者のニーズに応えようという気はないようです。

 ということでドイツ語はまたしばらく独習です。中断しないように毎日NHKラジオ講座を聞いてやっていきます。実際、たった20分の講座のほうがためになりそうです。

 あと、フランス語をちょっとやります。ドイツ語やイタリア語を始めて以来、とんとご無沙汰していたのですが、イタリア語の歴史でラテン語からイタリア語への変遷を学び、同じ祖先からどのようにフランス語という違う言語が生まれ、発展していったのか知りたくなりました。

 日仏学院の通信でこの種の講座があるのですが、レベルが一番上でいきなり受講するのも少し不安なので、まずは復習から始めることにします。

 それでは皆様、良いお年をお迎えください。

 

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イタリア語検定試験堂々の不合格

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 イタリア語検定(1級)の結果通知がきました。

 3点足りなかったス。

 やっぱり作文に足をひっぱられた。作文も合格基準点には達していたのですが・・・

 今年は合格者が異様に多かったす。152人受けて24人も受かってました。去年は128人中7人、一昨年は153人中11人です。

 例年だったら「あと3点残念だったなあ、来年こそ頑張ろう」と思うところですが、大勢の合格者がでながら落ちてしまうと、今年受かんなくてどうする、という感じです。

 反動で来年は絶対むずかしくなると思います。

 道のりはますます遠ざかるう~・・・

 出来る人はいつ受けても出来ますが、私のように運頼みの人は、チャンスのあるときに幸運の女神の前髪をつかまえないと、またいつチャンスが訪れるかわかりません。

 それにしても、実用検定は一問一問きちんと着実にこなしていかないと、ひとつのミスが致命傷になります。今回もケアレスミスや、落ち着いて考えれば正解がわかったところが数箇所ありました。

 やはり、各部門で9割の正解率を目指さなければダメだ、ということを実感しました。

 1級は80点満点で64点以上とれなければなりません。リスニングは22点中17点以上、筆記は38点中28点以上、作文は20点中12点以上の得点が求められます。

 はい、61点しかとれませんでした。ちなみに最高点は77点です。

 まだまだ力不足です。

 1級以外の結果です。 

2級:554人中90人(今年はまた多くなりました。)

3級:784人中224人

4級:734人中281人

5級:434人中271人

 合格者の皆様、合格おめでとうございます。

 その他の皆様、お疲れ様でした。これからも頑張りましょう。

 

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イタリア文化会館でもCILS準備コースが

 イタリア文化会館の2008年冬学期のパンフレットがでました。こちらでも見られます。

 新たに設けられたコースの中に、CILS準備コースがありました。といってもずっと先のはなしです。

 対象のレベルはB2とC1です。

 B2は4月5日と6日、C1は4月12日と13日、ともに土日2日間の集中講座で、時間は11時から3時までです。講師はサラ・ファルキという方です。(どういう方か知りません。もしかして試験官だった人かしらん)

 パンフレットの紹介文によれば、過去問の解答、試験科目のキーポイント、解答テクニックを学ぶそうです。

 費用はどちらも15000円です。

 以前見つけた御茶ノ水にあるAccademiaのCILS準備コースについての記事はこちらです。

 日本でもCILSの知名度が少しあがったのでしょうか。   

 

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イタリア語の歴史学んでます

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  イタリア語のスクールで、イタリアの歴史の他にイタリア語の歴史を学んでいます。ラテン語以前の時代から始まり、いまルネサンス期に入っています。奇しくもイタリア史もルネサンス期をやっており、いろいろつきあわせることができます。

 イタリア語とラテン語の関係は、まさに父と子のようです。ラテン語から発生し、俗語(volgare)となって自立しようと親元を離れても、なかなか親の影響から逃れることができず、また親元に戻ってしまう、ということを繰り返しています。ラテン語があまりに完成された言語なので、卑俗な話し言葉(volgare)がラテン語と同じステータスを獲得するまでには相当紆余曲折があります。イタリア語の最終的な確立は19世紀の国家統一まで待たなければなりません。偉大な父親をもつ子供が父親を超えるのは大変なことです。

 ルネサンスは古典再発見の時代ですから、ダンテがせっかく俗語の道を開いたのに、またラテン語がしゃしゃりでてきます。あくまでもラテン語は品格があり、俗語は汚く品格に欠けるということで、たとえ俗語で書くにしてもラテン語をお手本にしましょう、という気運です。もちろんこの時代、すでに話し言葉はそれぞれの地方の俗語です。書き言葉も俗語で書かれるようになりましたが、まだ統一された標準語はなく、人称代名詞や冠詞、スペルも定まっていません。

 当時の知識人はきちんとした共通語の制定の必要性を痛感します。民衆が話している言葉をそのまま採用するわけにはいきませんので、何を範とするか議論がおこります。お手本にするのはダンテの用いた言語か、ペトラルカのそれか、宮廷で用いられている言葉か論議されます。イタリア語の文法書もこの時代出版されます。

 と、ちょうどこのあたりまで習いました。先生がおっしゃるには、いつの時代もイタリア語の標準語は文学を規範としているので、現実に用いられている言語とは隔たりがあるそうです。文学も散文と韻文ではだいぶ異なり、韻文は古典の規則にもとづいているので、文体もたいそう古風になってしまうようです。

 日本の短歌が現代でも文語体で書かれるのと同じようなことでしょう。

 

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エンリコってどこの王様

忘れてしまった高校の世界史を復習する本 Book 忘れてしまった高校の世界史を復習する本

著者:祝田 秀全
販売元:中経出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 イタリア語のスクールでイタリアの歴史を学んでます。

 ちょうどルネサンスに入った前後で、半島はさまざまな勢力によって細かく分断され、外国勢力もどんどん侵攻してくるところです。日本の戦国時代並みに、ある領主とある領主が同盟を結んだかとおもうとじきに離反し、敵と結んだり、正直わけがわかりません。

 毎回、本を20ページぐらいコピーした資料を渡され、ただでさえ読むのにめちゃくちゃ時間がかかるのに、それぞれの勢力の相関関係を把握するのに頭がこんがらがってきます。

 もうひとつ、理解を妨げるのが王様の名前です。

 日本の教科書では、フランスの王様はフランス語の名前、イギリスの王様は英語の名前、ドイツの王様はドイツ語の名前で書いてあるので、名前を見ただけでどこの国の王様かすぐわかります。

 しかし、イタリア語の本では、アンリもヘンリーもハインリヒも皆エンリコになってしまうのです。(フランスではみんなアンリ、英米ではみんなヘンリー、ドイツではみんなハインリヒになっちゃうんでしょうが。)

 歴史の素養のある人は、その時代時代で、これはアンリ何世、これはヘンリー何世とちゃんと区別できるのでしょうが、私が何世とすぐ言える王様はせいぜいルイ14世とルイ16世ぐらいです。

 しかしルイ16世にしても、ドイツ語の文章でルードヴィヒ16世とあったとき、はじめはドイツのどっかの王様だと思ってしまいました。ちなみにイタリア語ではルイジです。

 昔から歴史は苦手だった。トホホ・・・

 とりあえず大まかなところだけでもおさえておこうと思い、何か助けになるものはないかと本屋さんを覗いたら「忘れてしまった高校の世界史を復習する本」というのを見つけました。著者は予備校の世界史の先生らしいです。

 重要なポイントをおさえつつ、簡潔でわかりやすく、すぐ読めてしまいます。 

 それにしても、イタリアの歴史ってルネサンスのあたりは学校でさんざんやったはずなんですけど、すっぽり記憶から抜け落ちてしまっています。

 なにも歴史に限ったことではありませんが。

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風呂おけに冠詞をつけるのも単純ではない

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 イタリア語でラテン語習ってます。さすがイタリア語の先祖だけあって、単語が共通しています。現代イタリア語では意味がずいぶんかわっているものも多いですが、原義をたどれるのでとても勉強になります。

 クラスでは、生徒が次々とラテン語の文章をイタリア語に訳すのですが(といってもまだ初級なので簡単なものです)、厄介なのが冠詞の処理です。

 日本語と同様にラテン語には冠詞がありません。したがって、イタリア語に訳すときには名詞に冠詞をつけなければならないのです。

 先生によれば、我々が冠詞の使い方を学ぶのに、このラテン語伊訳がとても良い方法だそうです。

 ふつう、イタリア語の学習で一番むずかしいのは接続法だと思われていますが、文法上の規則がきちんと決まっているので、勉強すれば使いこなせるようになるそうです。

 一方、冠詞は(もちろん基本的なルールはありますが)感覚的なものなので、規則として一般化できず、教える側にとってもむずかしいとおっしゃっていました。

 冠詞のある言語でも、それぞれ使い方がずいぶん違います。

 英語では「I am a student.」と不定冠詞がつきますが、属性をあらわす時、フランス語もイタリア語もドイツ語も冠詞はつけません。

 この例のように、すでに規則となっているものは理解しやすいですが、話者の感覚で使い分けている場合、ネイティブでないと、このニュアンスの違いはなかなかわかりにくいです。

 冠詞の使い方の違いが、国際問題にまで発展してしまう例もあります。 

 パレスティナ問題を解決するための安保理決議で、フランス語の決議文では「占領地」に定冠詞がついているのに対し、英語の文には冠詞がついていないそうです。それによって、各陣営の占領地の解釈が異なってしまい、問題がかえって紛糾しているそうな。

 先生が、ひとつ例をあげて、いかに感覚的に冠詞を使い分けているかというのを示してくださいました。

 とある居間を描写するとき、ソファやテレビ、カーペット、カーテンなど、どこの家の居間にもあるようものには定冠詞をつけるそうです。

 しかし、もし居間に風呂おけがあったら、不定冠詞をつけてuna vasca da bagnoとするそうです。つまり、一般的概念に合致するものには定冠詞をつけ、はずれたものには不定冠詞をつけるらしいです。したがって、浴室を描写するのであれば、風呂おけには定冠詞をつけるわけです。

 先生が日本の住居を描写する時、結構冠詞の使い方に悩むそうです。日本人だったら、床の間や仏壇は当たり前なので定冠詞をつけるのでしょうが、外国人にとっては、何があって当然で何が当然でないか判断がむずかしいのでしょう。

 結局、話者が定冠詞を使うか不定冠詞を使うかで、対象との心理的な関係をニュアンスとして伝えるようです。

 このように使いこなすことなど私には到底できません。

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CILS対策コースやっているスクールがあった

 先日、CILSに関する記事で、国内では試験対策コースがないと断定的に書いてしまいましたが、気になったので少し検索したところ、都内に一か所あるのを見つけました。

 御茶ノ水駅の近くにあるACCADEMIAというスクールです。

 学校自体は初めて聞く名前でしたが、講師陣をみたところ、以前習ったことのあるMichele Marcolin先生がいらっしゃいました。(2008年4月現在、講師陣の中にいらっしゃらないのでおやめになったようです 

 先生の許では文法を学んだのですが、とても簡潔かつわかりやすく教えてくださいました。

 その時点までにざっと一通り文法は終えてはいましたが、初級レベルの教科書を使ってほんのさわりをおさえていただけで、いまひとつよくわかっていませんでした。そこで、先生の文法だけ学ぶコースを受講しました。毎回目からうろこで、「何で今まで誰も教えてくれなかったのっ!」ということばかりでした。

 ある時、授業中にCILSの話題がでたのですが、先生はCILSの試験官をやったことがあるとおっしゃっていました。

 ただ、かならずしもこのスクールで先生がCILS対策コースを担当なさるとは限りませんし、このスクールの存在も今日始めて知ったので、学校自体の質はまったくわかりませんが。

 こちらがそのコースのページです。もう既に始まっているようですが、一応ご報告まで。

 

 

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イタリア語検定解答速報出た

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 日伊学院のイタリア語検定解答例が出ました(こちら)。

 とりあえず自己採点してみたのですが、一か所どう考えても解答が間違っているところがありました。

24番です。

Oh,signor Carli,buongiorno!Vorrei(      )a mia madre.

選択肢

a)presentarLe b)presentarLo c)presentarGli d)presentarLa

のうちのd)を選んだのですが、日伊の解答例ではa)になっていたのです。もともと何故こんな初級レベルの問題がでるのだろうと思っていたので、何か落とし穴でもあるのかと思って何度も問題を見直してみました。しかし、どう見てもa mia madreは間接目的語ですしa)のLeも間接目的語ですから文法的に合いません。よく引っ掛け問題でスペルが微妙に違っていることがあるのですが、今回は全部正しいです。

 まあ解答例の最後にこれは日伊学院が作成したもので検定協会の発表したものではないと但し書きはありましたが。

 自己採点の結果はうーんというところです。8割はクリアできていますが、作文が・・・。9割出来ていれば作文が7割ぎりぎりでもだいじょうぶなんだけど8割ちょいだとなあ。今回の作文もひどかったし。7割もとれないかもしれないし、仮にぎりぎりとれたとしてもビミョーだなあ。

 ちなみに合格基準は、3つのパートそれぞれの正解率が70パーセント以上、合計点が80パーセント以上です。

 ま、あとは天命を待つばかりです。

 

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イタリア語検定うけてきました

マレーナ DVD マレーナ

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発売日:2001/12/21
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 やっと終わりましたよ検定試験。

 午後1時半から青山学院大学でありました。

 午前中は授業に出席しました。

 スクールは地下鉄九段下の近くですが、12時までなので、ちゃんと食事をとるにはちょっとせわしないし、まあ私の場合、昼にしっかり食べると眠くなって何もやる気が起こらなくなるので昼食は抜きました。朝しっかり食べてきたのでぜんぜんお腹もすいてなかったし。

 午前中の授業は生徒が半分しか来ませんでした。試験のため休んだ人もいたようですが、連休でどこか遊びにいった人もいたのでしょうか。

 本当に今日は秋の行楽日和でした。

 1級を受けたのですが、去年と同様2つの教室にわかれていました。受験者数はそんな変わらなかったと思います。2級に比べて1級の合格者は極端に少ないです。

 ちなみに去年は、1級の受験者128人に対し合格者7人、2級は528人に対し63人でした。英語やフランス語のように準1級を加えてくれたらいいのにと思います。

 今回も出来たかどうかわからないです。

 ただ去年と部屋がちがったのと、席の位置も違ったのでリスニングは聞き取り易かったです。去年はワンワン響いて聞きづらかったです。

 でも出来る人はどんな環境の中でもちゃんとできるんですよね。

 作文の設問は、「もしあなたが20世紀に生まれていなかったら、どの時代に暮らしたかったですか。」というもので、180~220語で書きます。

 今回も終了時間ぎりぎりまでかかってしまいました。 

 正直、こちらの想像力がないのもいけないのでしょうが、(おそらく子供だったら、恐竜の時代に生まれたかったなどと、すらすら書けるに違いありませんが)、まじめに考えれば考えるほど、この問いに答えるには深い考察が必要となってくるので、(要するに、現代に対する時代批判のようなものになるのでしょうから)、私のような知力と語学力では、短時間でたかだか200語程度で書けるわけがありません。でも大学の試験じゃあるまいし、この試験ではそこまで求めているわけはないだろうし、てなことを考えていたら、あと20分ぐらいしか残っていませんでした。

 しょうがないから、どうしようもないことをずらずら書きました。 

 ホント馬鹿みたいなことです。

 はずかしいです。

 せめてスペルや文法の間違いが少なければと願うばかりです。

 話はかわりますが、10月9日からイタリア文化会館のアニエリホールでジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品が連続上映されます。入場無料で先着順だそうです。

9日 19時~:ニュー。シネマ・パラダイス
10日 19時~:海の上のピアニスト
11日 19時~:マレーナ
12日 19時~:教授と呼ばれた男
14日 14時~:みんな元気
14日 17時~:明日を夢見て

 文化会館のホームページはこちらです。

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CILSの面接について

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  去年の12月に初めてイタリア語のCILSなる検定試験を受けました。

 日本では、主だったイタリア語教育関係者が実用検定試験に関わりをもっているせいか、こちらのほうが知名度も高く、受験者もはるかに多いです。

 とりあえずCILSのレベル3(C1)を受けてみようと思い立ったのはいいのですが、私のまわりでは受験したことのある人はまったくおらず、もちろん受験対策コースなどというものもないので、いったいどんな試験なのか皆目見当がつきませんでした。

 ブログでどなたか体験記などを書いていらっしゃらないか検索してみましたが、殆どの方がイタリアで受験されていて、現地のスクールで対策コースに通われていたようです。したがって国内で受験するのに頼りになるのは過去問だけという状況でした。

 これだけ日本国内にイタリア語学習者がいるのだから、主催者のシエナ外国人大学もイタリア文化会館あたりと提携して試験対策コースを開催すればいいのにと思います。

 実用検定とは異なり、CILSでは一日で面接も行ってしまいます。

 多くの外国語検定試験では、面接を担当する試験官が採点を行いますが、CILSはカセットテープに録音をして、そのテープをシエナの大学本部に送ってそこで採点するのです。筆記試験の解答もすべてシエナに送られてそちらで採点します。そのため結果がでるまでおそろしく時間がかかります(3ヶ月以上というか4ヶ月近く)。

 さて、面接ですが、試験官は筆記試験で監督官をしていたイタリア人の女性でした。受験生も大変ですが、彼女は一人でこのあと大勢の面接をこなさなければならないのでもっと大変です。(受験者は少なくとも20人以上はいたと思います。)すでに相当疲れていたでしょうに、とても気さくな方で、たいへん親切に対応してくださいました。

 試験の課題は2つあります。一つ目は試験官とのダイアローグ、二つ目は一人でしゃべります。

 ダイアローグは4つほどのシチュエーションのなかからひとつ選択し、試験官とロールプレイをするのです。私が選んだのは、大事な客を招待するために高級レストランを予約したのに、いざ行ってみたら予約はされていず、しかも満席だった、という状況で、レストラン側に何らかの解決策をとらせるように、という課題です。受験者が予約した客、試験官がレストラン側の人間を演じます。その他、自動車保険の更新で、長年無事故のドライバーが代理店に対して保険料の値下げを要求する、という設定もありました。

 二つ目の課題は、実用検定の面接と同じで、4つほどのテーマから(テーマも同じようなもの)ひとつ選んで、それについて自分の見解を述べます。ただ実用検定と異なり、試験官は一切関与しません。合図があるまでカセットレコーダーに向かって、一人でひたすらしゃべり続けなければなりません。

 最初のダイアローグは、試験官がところどころリードしてくれるので助かりますが、2番目のは、講演会のごとく一人でずっと喋り続けるので結構きついです。

 実用検定やドイツ語のZMPの試験では、話すテーマを決めた後、別室で15分ぐらい考える時間が与えられるのに対し、CILSでは両方の課題ともその場で提示され、すぐに選んで話し始めなければなりません。もちろん2~3分の猶予はありますが、選択肢を提示された段階で、それぞれ自分がそれについてどれだけ喋れるかすばやく判断して、2~3分の間にだいたいの考えをまとめなければならないのです。

 ただ試験官は決してせきたてませんし、課題について疑問があればいくらでも説明してくれます。選ぶ段階で十分時間をとってだいじょうぶです。(外でまだ終わらないかとイライラ待っている大勢の受験生のことは、この際忘れましょう。)

 試験官によって雰囲気は多少違うでしょうが、いずれにしろイタリア文化会館の先生が担当されるようで、意地悪な人や感じの悪い人はいないと思います。

 前回筆記試験について書いたので興味のあるかたはご覧ください。

 こちらは今度の12月9日におこなわれる試験に関するイタリア文化会館のページです。

 今まで会場はイタリア文化会館でしたが、12月は違うところでやるようです。

 

 

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CILS受かってた

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 この6月に受けたイタリア政府認定のイタリア語検定試験CILSの結果がやっとネット上で出ました。合格してました。

 エガッター。

 レベル3、つまりC1です。6段階の5番目で、中級終了レベルらしいです。以前に受けたドイツ語のZMPと同じレベルですが、CILSのほうがはるかにハードです。むずかしいです。

 実は去年の12月に受験し、2科目(リスニングと読解)を落としたので、6月はこの2つだけ受けました。試験は全部で5科目ですが、落とした科目だけ1年以内だったら2度再受験できます。

 何せ長丁場で体力と気力との戦いです。

 全科目受ける場合は、レベルによって異なりますが、3級は筆記が朝の10時から午後3時までで、休憩は1時ごろに一回15分程度あるのみです。それ以外はトイレにも行けません。これから受験される方々は、試験当日くれぐれも水分の摂取は控えめに。のんびりお弁当を食べる時間もありませんから、何か一口で食べられるものか、クッキーやチョコレートなど空腹をまぎらわせられる甘いものを持参したほうがいいと思います。

 筆記のあとは面接ですが、試験官が一人なので受験番号が後のほうだとまた何時間か待たされます。試験当日の夕方の予定はあけておいたほうが安全です。私は比較的順番が早かったのですが、外に出たのは5時ごろになっていました。

 試験の過去問はイタリア文化会館の図書館でコピーできます。ただし解答はありません。イタリア書房や文流で売っていますが、試験一回分のものは解答がありません。複数年度(4回分)のものは模範解答がついています。

 筆記用具ですが、別に鉛筆でもかまわないそうです。(2007年12月の試験では黒のボールペンのみになったようです。)ただし消しゴムは使えませんので、ボールペンで書くのと変わりありません。つまり、一度書いたものは訂正できないのです。ただ作文は横線を引いて訂正してもだいじょうぶです。(12月の試験では散々塗りつぶしては書き直しましたが作文部門は合格していました。)

 試験問題の質は実用検定よりはるかに高いと思います。あらゆる角度からイタリア語の能力を測っています。文法の穴埋め問題も選択肢はなく記述式です。作文は3つ書かされましたが、うちひとつは文法の部門からの出題です。

 ただ、合格ラインが正解率60パーセントなので、私のように間違えまくってもなんとかクリアーできます。実用検定は正解率80パーセント以上なので、ハードルははるかに高いです。また問題数がCILSに比べてはるかに少ないので、ひとつ間違えると致命傷になります。

 今度実用検定試験(1級)を受けますが、結局過去問を少しやっただけです。もうスクールの新学期が始まってしまい、その予習に追われています。

 もう試験はどうでもよくなってしまいました。

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リスニングは本当に苦手だ

実用イタリア語検定1・2・3級 2007―問題・解説 (2007) Book 実用イタリア語検定1・2・3級 2007―問題・解説 (2007)

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 とにかくリスニングが苦手です。イタリア語に限ったことではありません。ブログなどで他の方たちの外国語の試験体験記などを読むと、リスニングはそれほどむずかしくなかったと書いていらっしゃる方が結構いてうらやましい限りです。

 クラスでは先生がかなり早口でまくしたててもだいたいついていけるのですが、試験などでまったく文脈がわからないままいきなり会話文が流れてくると、意味の無い音がただ頭の中を素通りしてあっという間に終わってしまうのです。長い文だと次第に文脈もわかってきて、予想をたてながら聞くことができますが、検定試験の会話文は非常に短かく、いったい何について話しているのかもわからないうちに終わることが多いです。

 よく外国語の学び方のアドバイスで、リスニング教材をディクテーションして書き取ることを勧めています。しかし私の場合、聞こえてくる音を意味も考えずにそのまま書き写すのはそれほど苦手ではないのです。しかし、長くて複雑な文章をいくら完璧にディクテーションできたとしても、単に音を意味も考えずに記号化しているだけなので、書いた後に内容について質問されると自分の書いたものをもう一度読み返さないと答えられません。

 同じことは音読についてもいえます。授業では必ず音読させられるのですが、その場で与えられたテキストを音読したあとすぐに内容について質問されると全然答えられず、あわててもう一度読み返さなければなりません。

 多分、外国語を聞いたり読んだりするとき、文の頭から語順どおりに理解しているのではなく、日本語の語順に直して翻訳しながら意味を追っているんだと思います。特にジャーナリスティックな文章や専門家の書いた文章など込み入った内容のものになると頭の中で完全に日本語に直しています。

 もうひとつ、リスニングの試験となるとなぜか集中力を失い、音声が流れているのについ違うことを考えてしまうのです。

 しかし考えてみれば、リスニングというのはずいぶん人間にとって不自然な行為だと思います。聞くという行為は、音声によって情報を得ること、すなわち自分のおかれている環境にある無数の音の中から必要と思われる情報だけを無意識に選びだしてして受容することです。情報といっても単なる実用的なものにとどまらず、耳に心地よい鳥や虫の声も含まれます。

自分に関係ない、また興味のないその他の音は雑音にすぎません。季節を感じさせる虫の音などは、日本人以外には雑音にしか聞こえないらしいです。

 ところで音声による情報といえば、ひっきりなしに流れる駅のアナウンスがリスニング問題でよくとりあげられます。

しかし、現実には我々はそれら全てに耳を傾けているわけではなく、自分の乗る電車についての情報だけを選り分けて聞いています。天気予報にしても、自分の住んでいる所やこれから行く所の予報だけを聞いています。他人とおしゃべりしているときも、普通は全身全霊を傾けて相手の話を聞いているわけではなく、かなり適当に聞き流しています。

ところがリスニングとなると、天気予報にしても駅のアナウンスにしてもひとつの情報も聞き逃してはいけないのです。

 人間に限らず動物は自分が興味のある事柄にしか注意を向けないものです。まったく自分に関係が無く、興味も持てないものに対して片時も集中を途切らせないなど不自然すぎます。非人間的行為です。

 かといっていくらぶつくさ言っても何もならないので、もうちょっと教材のCDを聴きます。

 要するにリスニングが嫌いなだけなんです。

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冠詞の有無がやっかいだ

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 少しはイタリア語の勉強もやらなくてはと買いっぱなしになっていた実用検定の123級の過去問を開きました。

 とりあえず3級の問題からやったのですが、はや前置詞で間違ってしまいました。essere appassionato(  )calcio(サッカーに夢中である)のカッコ内に入れる前置詞をper/di/ in /conの中から選ぶのですが、perだかdiだかわかんなくなってしまいました。というのも、以前クラスで一緒だった人がしばしば「essere appassionato per~」といって、しかも先生が直さないので、始めは心のなかで「前置詞ちがうよっ!」と叫んでいたのですが、その人の間違いが日常化してしまっていたのでこっちまでそれが伝染してしまったのです。正解は"di"です。ただこの誤用も無理からぬことで、名詞passione(情熱)のときは前置詞はperをとります。

 前置詞は本当に厄介で、イタリア語だとdiをとっても(cercare di+inf)フランス語だとa'をとったり(chercher a'+inf)(~しようと試みる)、ドイツ語だとinをとっても(in~verliebt sein)イタリア語だとdiになったり(essere innamorato di~)(~に恋している)、感覚で覚えろといってもそれぞれの言語によって異なることがあるので混乱します。

 前置詞と並んで特に日本人にとって厄介なのが冠詞です。原則は各国語共通ですが、やはり言葉によってつけたりつけなかったりが異なってきます。

 ずっと前に文流だったかイタリア書房だったかで前置詞だけの問題集"Guida all'Uso delle Preposizioni"というのを買っておいたのを思い出してひっぱり出しました。90ページ近く全部前置詞の穴埋め問題です。カッコ内の空白に前置詞を入れるのですが、必要なら冠詞も付け加えるのです。

 ドイツ語やフランス語では、形容詞などがつかない一般的な概念としての場所を表す場合、殆どすべての名詞に定冠詞をつけます。しかしイタリア語では名詞によって定冠詞がついたりつかなかったりします。この問題集ではその辺も学べます。

 レストランや映画館はal ristorante,al cinemaと定冠詞がつきますが、ピザ屋や劇場はin pizzeria,a teatroと冠詞なしです。

 学校はa scuolaと冠詞がなかったりall'universita'とついたりします。授業はal corso,alla lezioneといずれもつきますが教室はin aulaとつきません。

 職場はin ufficio,in aziendaとつきません。

 病院はin ospedale/all'ospedaleとどちらも可です。

 広場はin piazzaとつきません。街の中心部という意味のcentroはin centro/al centroとどちらでもいいようです。

 冷蔵庫はin frigo/nel frigo、テレビはin tv/alla tvとどちらでもいいようです。

 インターネットはin internetとつかないようです。

 上の例はいずれも一般的な概念として用いる場合です。これらの名詞に修飾する言葉がつくと、名詞が特定されて冠詞の用法も違ってきますのでお間違いのなきよう。

 でも正直いっておぼえきれません。

 

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イタリア語試験勉強してない

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 気がついたら9月も一週目が過ぎてしまいました。イタリア語の検定試験までちょうど1ヶ月ですが、全然何もやっていません。昨年度の過去問は7月に買ったのですが、その辺に放り出したままです。1回目に受けたときは結構前もって問題集などひもといたものですが、今やお彼岸の後にくる季節の風物詩と化しているので、試験会場に行くのも墓参りするのも同じ感覚になってしまいました。

 ところでこの間イタリア書房で買ったタブッキの"Piccoli Equivoci senza Importanza"すごくいいです。まだこの短編集のタイトルにもなった第一話しか読んでいませんが、高校大学時代の仲良しグループが何十年もたった後、判事と被告と傍聴人という立場で法廷で再会しているという設定です。傍聴人の「私」だけが過去の思い出をひきずって裁判の審理の間も現在と過去を行ったり来たりしています。

 ちなみにこのタイトル「大したことではないちょっとした間違い」というのは、彼らの大学生活のちょっとしたエピソードからきているのです。大学で専攻を古典文学に登録したはずのFedericoが、事務の手違いで法学部に登録されてしまいます。「私」たち仲良しグループが彼と一緒に事務室に掛け合いに行きますが、そこの係員に"e' un piccolo equivoco senza rimedio."(ちょっとした手違いですがどうにもなりませんなあ。)といわれ、結局その場で言いくるめられて法学部にいく羽目になるのです。(実際彼は後に判事になります。)この事務員のセリフが彼らに大うけし、以来、それを少しアレンジして、約束の時間を間違えたり、大事な用事をうっかりすっぽかしてしまった時など、仲間内で"un piccolo equivoco senza importanza"(どうでもいいような些細な間違い)と決まり文句として使うようになったのです。

 学校というアルカディアを出て実社会に入っても世俗の垢にまみれることのできない「私」がひとりもがくさまがセンチメンタルに描かれていて、後味はちょっと苦い作品です。

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イタリア語教室でよく耳にするちょっと気になる間違い

048      

 イタリア語を始めて以来今までに色々な講座を受講してきました。最近のクラスメイトはかなりベテランが多くてその中にいると私などまだまだひよっこです。文法もよくご存知だし語彙も豊富です。ただこのようなベテランでも何人かの方がちょっと気になる共通した間違いをおかすのを時々耳にすることがあります。もちろんこれらの間違いは初級中級クラスではもっと頻繁に耳にします。

 イタリア語の特徴として一番にあげられるのはアクセントの位置だと思います。多くの単語は最後から2音節目にアクセントがくるため特に入門レベルでは何でもかんでも後ろから2番目にアクセントをつけてしまいます。特に動詞の人称変化を習った際に1人称複数のアクセントの位置と3人称複数のアクセントの位置をきちんと認識していない人が目立ち、多くの人が3人称複数も最後から2番目にアクセントをおいています。

動詞parlareを例にとると

我々は話すの「parliamoパルリアーモ」と彼らが話すの「parlanoパルラノ」を区別せず、3人称複数も「パルラーノ」と発音する人が後を絶ちません。しかしこれは完全に教師の責任です。初めて人称変化を教える際、しつこいまでにアクセントの位置の違いを生徒にたたきこんでいれば始めの段階で習得できるはずだからです。三つ子の魂百までとはまさにこのことで、教師からしつこく間違いを指摘されないまま上級クラスまで進み、非常に難解な文章を読みこなせるのに相変わらず「パルラーノ」といっている人が結構います。時々教師に「パルラノ」と直されますが本人は間違っているという意識がないのでそのときはオウム返しに「パルラノ」と繰り返しますが、もう次にはまた「パルラーノ」といっています。

 以前あるクラスでアクセントの位置の間違いをいくら指摘しても直さない生徒に対し、先生が「イタリア人はnoi(我々)とloro(彼ら)の違いを語尾のMとNで判断するのではなく、アクセントの位置で判断するので"アーノ"と聞くと1人称だと思ってしまう。」とおっしゃいました。このように説明してくれれば生徒も自分の間違いを認識でき、以後気をつけるようになると思います。

 もうひとつよく耳にする間違いは発音上のものです。これはドイツ語のクラスにも共通することなのですが、殆どの日本人にとって初めての外国語が英語であるせいか英語式の発音をしてしまうのです。一番多いのがUの発音で、英語とフランス語では""と発音しますがイタリア語やドイツ語では""です。universita'がニヴェルシタではなくてニヴェルシタになってしまう人が結構います。

 Uの発音ほど顕著ではありませんが、GNニュではなくグヌと発音する人も結構います。クラスで生徒がよく使う動詞significa(意味する)をシフィカではなくシグニフィカと発音する人が上級クラスになってもたまにいます。

 いずれも初級レベルにいたとき教師がすかさず指摘して矯正していれば避けられる間違いです。生徒によっておかす間違いは多種多様ですが、なぜかどのクラスにいってもこれらの間違いだけは共通していました。

 入門、初級クラスは後の勉強を続ける上でとても大事な段階だと思います。もちろん最初は間違いを恐れず積極的に話すというのが一番大切です。しかし教師が生徒のモチベーションを阻害してはいけないという口実のもとに、無責任に生徒の誤りを放置している例もしばしば見受けられました。私もクラスのレベルが上がってから何回誤りを指摘されたことか。すべて初歩的な間違いで、いままで何年も同じ誤りをおかしてきたのに初級でも中級でも誰も直してくれませんでした。きちんとした入門クラスを選ぶことがいかに大切なことか痛感させられます。

 

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タブッキの新しい本

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 先日イタリア書房に行ったらタブッキの”Piccoli Equivoci senza Importanza"(1985 たいしたことないちょっとした思い違い、というような意味でしょうか)を見つけました。

最近クラスで抜粋を読んでものすごく気に入った"Racconti"(2005)を探したのですが見つからなかったので、これはまだ読んだことがなかったしせっかく神保町くんだりまで足を運んだのだからと代わりに買いました。

ずいぶん前にこの店で「レクイエム」の原書(ポルトガル語)を見つけて一瞬買おうか迷ったのですがどうせ読めないしと思いあきらめたことを思い出し、それも一緒に探してみたけれどありませんでした。イタリア書房は夏にセールをするので、めぼしいものは皆売れてしまったのかもしれません。でもポルトガル語でタブッキを読む人はそう多くないと思うのですが、ただポルトガル語版は確かイタリア語版と並んでいたのでイタリア語だと思って買ってしまった人がいたのかもしれません。

 まあまだ私の実力では読めないでしょうし、そのうちまた入荷すると思いますので折々のぞいてみることにします。

 人との出会いも運というかその機会を逃すと一生その人と出会えないことが多いですが、本との出会いも本当にそうだと思います。前からちょっとひっかかっていた本をたまたま書店で見つけて買うときもありますが、荷物が多かったり他に買わなければいけない本があってまた今度にしようと買わないでいると、後年買おうと思ったときには品切れや絶版になっていることがよくあります。

 願わくばレクイエムのポルトガル語版とまた出会えますことを。

  

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イタリア人の政治的立場はダンテでわかる?

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 イタリア語統一史上最も重要な人物はダンテ・アリギエリとアレッサンドロ・マンゾーニといわれます。

イタリア語学習者の中でも彼らを神のようにあがめている人は少なくないのではないでしょうか。特に女性の学習者で「いいなづけi Promessi Sposi」が愛読書ですという方が何人かいらっしゃいます。

しかしほとんどの先生はダンテとかマンゾーニと聞くと露骨にうんざりした顔をなさるのです。イタリアの学校では強制的に読ませられるので半ばアレルギーになっているのでしょう。

 ところが先生方の中にはダンテとマンゾーニが大好きで(なぜかマンゾーニが好きな人はダンテも好きです)ぜひ自分のクラスでもいつか取り上げたいなどとおっしゃる方も少ないですがいらっしゃいます。

ここでふとあることに気づきました。 私もいろいろなクラスを渡り歩いてきたので習った先生の数も多いのですが、体制や権威に対して何か拒否感を抱いている人はダンテ・マンゾーニにそっけない態度を示し、逆にあまりこのようなものに対する嫌悪感をあらわさない人は彼らに対する愛好ぶりを語るのです。ちょっと面白い符合です。

 ところで先日、以前にもらったプリントを復習がてら整理していたらGabriele Romagnoliの短編集Navi in Bottigliaの中の一編Se scegli Sabrinaがでてきました。

 主人公Fiorenzoは10年前には反体制シンガーソングライターとして一世を風靡し、特に彼の作ったSocieta' Malataは学生運動を象徴する歌として歌われていました。

しかし決して実現することのない革命に見切りをつけ、音楽(=CANTO)を捨てて教師に転身し、学校で国語を教えています。授業で神曲・天国の部の詩篇CANTO del Paradisoをとりあげているのですが、いかにしてやる気の無い生徒たちを引き付けるか苦心惨憺しています。

ある朝出勤すると、300人ほどの生徒が体育館で抗議集会を開いてスローガンを叫んでいます。Fiorenzoがかつての自分の姿をなつかしく思い出しながら戸口でながめていると、一人の女子生徒が「あいつら相も変わらず古くさいごたくを並べるだけで馬鹿馬鹿しいから教室にもどるわ」と言いながら出て行ってしまいます。

Fiorenzoも彼女のあとに続いて教室にむかうのですが、途中で体育館の中から彼のつくったSocieta' Malataが突然合唱となって聞こえてくるのです。彼は心のなかで一緒に歌いながら教壇まで行きます。そして神曲のテキストを開きます。

Poi apre la Divina Commedia.

上の文で作品は終わるのですが、当時クラスでこれをやったとき、単語の意味を追うのに精一杯で一体この作品のどこが面白いんだか、特に最後の落ちが全然わかりませんでした。

後にイタリア語だけではなくイタリアそのものについて学ぶようになってダンテやマンゾーニの教育における役割なども教わり、やっとこの作品のもつ痛烈なアイロニーが理解できるようになったのです。

 イタリアは非常に古い歴史を持つ国だといわれますが、国家(lo Stato)としての歴史はたかだか百数十年です。

殆どの日本人は、日本人であることと日本国民であることと何の違いも感じないし、沖縄や北海道を除けば日本の歴史と日本国の歴史も重なります。別に強制しなくても日本人は国家に対する帰属意識が自然に備わっています。

しかしイタリアでは、国民を統合できるのは言語と文化しかないのです。(現代ではワールドカップもそのひとつですが。)したがって言語政策、特に教育における言語政策は国家の根幹をなすもので、イタリア語統一を果たしたダンテとマンゾーニはイタリア国民を統合する象徴として重要な役割を担っています。つまり国家権力と密接なつながりをもっているのです。

 先の短編のアイロニーとは、かつて反体制シンガーソングライターであった主人公の歌CANTOが反権威主義のシンボルして歌われていたのに対し、今では教師として体制側にたって生徒たちに国家への帰属意識を植えつけるためにダンテの詩篇CANTOをせっせと教えこんでいる変節ぶりにあります。教壇につくまで自作のプロテストソングを歌っていたFiorenzoがおもむろに詩篇のテキストを開くことによって、結局彼が体制側の人間であったことを再認識させるのです。

 

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タブッキの「ビオラ」の謎がとけた

023

 

タブッキの作品「供述によればペレイラは」(Sostiene Pereira)でペレイラが初めてモンテイロ・ロッシ青年に会う場面があります。(16ページ)

コインブラギターのメランコリックなメロディがきこえてくるのですが、実際に二人の老楽師がギターとヴィオラを演奏しているのです。ペレイラは自分も学生時代にコインブラの音楽をヴィオラを演奏していたことをなつかしく思い出します。

 ここでちょっとひっかかったのですが、一般的に街の楽師が演奏するのはバイオリンであってビオラ(バイオリンの少し大きいの)ではありません。またわが国の皇太子殿下の例をあげるまでもなく、クラシック音楽でビオラを愛好する学生はいますがポピュラー音楽をビオラで演奏するなどふつうは考えられません。

以前ギターのことをポルトガル語でVIOLAOといいGUITARRAは12弦あるマンドリンのような形をしたポルトガルギターを指すと習ったので、ヴィオラとはギターのことかとも考えましたが、原作を見るとVIOLAと書いてあります。ポルトガル語が専門のタブッキが間違えるはずもないしともやもやしたまま詳しく調べもしませんでした。 

 ところが、ポルトガル語を再開したのでポルトガル関係のサイトを見ていてFADOに関する記事を見つけました。

なんとファドの世界ではヴィオラとはクラシックギターを指すと書いてあるではないですか。早速ウィキペディアのポルトガル語版を見ると、GUITARRAとはギター族の総称で、普通のアコースティックギターはポルトガルではGUITARRA CLA'SSICA、ブラジルではVIOLAO、ファドの世界ではVIOLAと呼ばれているそうです。(ただVIOLAはブラジルではウクレレのような小さなギターのことを指し、種類も幾つかあるようです。通常CAVAQUINHOと呼ばれているようですが。)

 小説の中でギターとあるのはポルトガルギターのことで、コインブラギターとリスボンギターという2種類あるうちの前者を指します。リスボンに住んでいるペレイラがコインブラギターの奏でるコインブラ民謡を聞いてSAUDADE(郷愁)にかられたわけです。

 このようなことを須賀さんもわかっていた上でギターとヴィオラというふうに訳されたのでしょうが、ファドの愛好者でもない限りギターがマンドリンの親玉みたいなものでヴィオラが普通のアコースティックギターなどとは想像もつきません。

 ちなみにドイツ語訳(Erklaert Pereira)ではGITARRE(ギター)とGEIGE(バイオリン)と訳されており、訳者の困惑ぶりがうかがえます。

供述によるとペレイラは… Book 供述によるとペレイラは…

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イタリア語の言葉遊び

027

 子供時代、何か言うときに1字ごとに母音にあわせてバビブベボを付け加えるのが流行りました。例えば「おはよう」なら「おボはバよボうブ」となるのですが、この時すでに語学の並々ならぬ才能を開花させ、非常に流暢にバビブベボを駆使して話せる子が何人かいました。

 このような遊びは日本だけではなく、イタリアにもあるんですね。須賀敦子さんの翻訳でタブッキと並んで日本でもファンが多いナタリア・ギンズブルグの自伝的小説「ある家族の会話」(原題Lessico Famigliare)の中で、彼女の兄の一人Marioがぶつぶつ呪文のようなものをつぶやく場面があります(51ページ)。

Il baco del calo del malo.Il beco del chelo del melo.Il bico del chilo del milo.

するとお父さんが下卑た口をきくなっ!Non dire paloracce!と怒ってやめさせるのです。須賀訳ではこの部分がカタカナでイルバーコデルカーロ・・・・としるされ、マリオが発明した呪文と訳されているのですが、実際はイタリアの子供たちの言葉遊びだそうで、赤字の部分の母音をa e i o と変えていき最後のuで

Il buco del culo del mulo.(ラバのおしりの穴)

となります。まったく他愛のないものですが、子供がおしりという言葉ではしゃぐのは日本もイタリアも変わらないんですね。

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ポルトガル語とイタリア語ちょっと違う

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 ポルトガル語快調にとばしています。8課まできました。中断してから全然やってなかったけれど、やってるうちに思い出してきました。ブラジルポルトガル語は動詞の人称変化が4つしかないので楽です。以前使っていた教科書も参照しています。 

 

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 当時の書き込みに 92年5月30日trinta do cinco de noventa e doisとあり、なんと15年も前にやっていたことが判明しました。単語はイタリア語と似かよったものが多いので楽です。しかしビミョーに違うものもあるので混乱しそうです。予防策にこれまででてきたまぎらわしい単語を書き出しておきます。

夫: ポMARIDO   伊MARITO

鞄: ポBOLSA  伊BORSA

眠り: SONO  伊SONNO

年:  ポANO   伊ANNO

四:  ポQUATRO  伊QUATTRO

七:  ポSETE  伊SETTE

二十: ポVINTE VENTI

銀行: ポBANC伊BANCA

工員: ポOPERA'RIO 伊:OPERAIO

 一見しただけでは違いを見落としそうです。今後イタリア語の作文でスペリングミスが増えそうです。

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イタリア語検定試験申し込みました

 2007_8_010                                

 

 きょうも暑かったです。

 イタリア語実用検定試験1級を申し込みました。

 3度目です。

 2級と1級の間には断絶があります。

 問題自体はめちゃくちゃ難しいわけではないのですが、3つのパートの合計点で80パーセント以上とらなければならないのできついです。各パートの合格基準点は70パーセントですが、どれかひとつでも8割きると、他のパートで不足分をカバーしなければならないので、それぞれ90パーセントの正解率を目指すぐらいじゃないとだめなのでしょう。

 3度目の正直となるか2度あることは3度あるとなるか。                

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半過去の使い方がわからない

 イタリア語を話していて、よく半過去と近過去の使い分けがおかしいので直されるのですが今一つピンときません。

 例えば朝早く会社に行かなければならなかったので5時に起きたというのを

Dovevo andare a lavorare presto, percio' mi sono alzata alle cinque.

と言ってしまうのですが、助動詞DOVEREを半過去にすると、早く出勤しなければならなかったのに結局遅刻したという意味合いになるのだそうです。実際早く出勤したのなら近過去を使うようにと言われるのです。VOLEREも同様で、半過去を使うとやりたかったけどやらなかった、出来なかったという意味合いになるそうです。

半過去とは、過去の行為や出来事が完了していないか、完了しているかどうかわからないときに使う時制です。したがって上の例文だと早朝出勤が実現されなかったという意味合いになってしまうそうです。

いついつまでなど行為や状態の終了時がはっきりしているときには使えません。

 最近クラスで読んだ小説に次のようなくだりがありました。冒頭主人公が父親の遺体とむきあっている場面が近過去で描かれています。そのあと

Avevamo(主人公と父親) litigato spesso e ora lui moriva.

All'inizio mi manco' moltissimo.

と続くのですが、ここで読解の正誤問題です。

La morte del padre l'ha reso triste.(lo=主人公)

答えはfalsoです。mi manco'が遠過去なのは、父親が死んで寂しいのではなく、後でわかるのですが主人公が若いときに親の許を飛び出したときの心情を語っているのです。

物語は主人公の回想の形で述べらており、時間軸をまったく無視して展開してゆきます。morivaは当時の父親の死にかけている状態をあらわす半過去で、死んだかどうかはわからないのです。

ネイティブは(もちろんイタリア語がよくできるノンネイティブも)これらの事情がまだわからない時点で、動詞の時制だけできちんと各場面の時間的前後関係が把握できるので感心します。

 試験でletturaの得点がパッとしない原因は、ひとつには時制がちゃんとわかっていないことにあるのかもしれません。

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イタリア語の過去形はむずかしい

 イタリア語でいまだにピンとこないのが遠過去と近過去の違いと半過去の使い方です。

 以前、イタリア人が日本語で書いた小説を、作者本人が講師となって一緒にイタリア語に訳す授業を受けたことがあるのですが、場面場面で遠過去と近過去を使い分けるので四苦八苦しました。

 ほとんどの生徒は深く考えずに全部遠過去で訳してきました。ところが先生は最初のパラグラフを近過去を使って訳しため、この小説にはこっちのほうが相応しいのだろうと全員次の文章を近過去に書き直したのです。すると今度は先生、遠過去で続けたではないですか。すかさず一人が質問したところ、この最初の場面はフィクションとはいえ実際の体験に基づいて書いたもので、今なお鮮烈な印象として自分の心に残っているので近過去にしたとおっしゃいました。

 成程、もし遠過去にしたら何か他人事のような印象になるのでしょう。この小説の場合は訳者が原作者であるため、その辺の心情のニュアンスを正確に訳出できるのかもしれません。しかし他人の作品を深く読み込んで他の言語でその微妙な感覚を表現するのは並大抵のことではないことがわかりました。

 時制の使い分けも、単に文法的に正しいか間違っているかだけでしたら調べればわかることですが、書き手の心情のニュアンスの差となると正直まだ実感できません。自分のレベルの低さを思い知らされた講座でした。

 この授業ではほかにも勉強になったことがたくさんあったので、折々書いてゆきます。半過去についてはまた今度にします。

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