ラテン語

イタリア語で古典ギリシャ語始めちゃいました

秋学期より無事古典ギリシャ語のクラスが開講されました。

先生はラテン語の先生、生徒も全員ラテン語のクラスメイトです。

同じ日にラテン語ギリシャ語と引き続いて学びます。

初日はアルファベットを習いました。書き順を記したプリントをもらい、各自その場でおけいこ。

ギリシャ語のアルファベットは数学などでおなじみのものも多いですが、書き順など適当に書いていたので新鮮な体験でした。

教科書はラテン語同様、ヨーロッパの高校や大学で使われている楽しみながら文法も自然に覚えられるというコンセプトのもとに作られたもので、挿絵もたくさんのっています。

ギリシャ語の本文のほかに、ギリシャ文明に関するイタリア語の解説がのっていて、古代ギリシャについていろいろ学べるしくみになっています。

ラテン語のほうはやっと接続法不完全過去まできました。教科書ではキリスト教徒の登場人物がいろいろキリストのことについて語っているのですが、先生の専門のひとつが神学なので(古典学の他に哲学や音楽も専門らしい)説明にも熱が入ってます。

教科書のほかに副教材としてローマ神話も読んでいます。

言語のみならずヨーロッパの文化について学ぶとき、ギリシャ神話とローマ神話、聖書はおさえていなければならない基礎知識ですが、日本人にとってはなじみが薄いのでその辺の教養を身につけるのはなかなか困難です。それでも先生の解説を通じて少しずつ学んでいます。

それにしてもセネカとかがすらすら読めるようになるのは一体いつのことやら。

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通訳案内士試験受験票が届いた

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通訳案内士(フランス語)の受験票が届きました。

もう12月の2次試験の案内が書いてあるのかと思ったら、8月30日にある1次試験のことしか書いてなく、全科目免除となっていました。

2次の会場はまだわかりません。昨年は昭和女子大でした。

このところフランス語の試験が重なって他の言葉のお勉強がおろそかになってしまったので、少し復習しています。

特にラテン語。

最近むずかしくなってきたのに動詞や格変化の活用をきちんと覚えていないため,読むのにやたらと時間がかかります。

こりゃこのままだとこの先大変なことになると今になってあわてて教科書の初めのほうから読み直し,動詞活用や格変化を頭にたたきこんでいます。

動詞はほとんど全部単純形なので(受動態も!)活用をいちいち覚えなければなりません。

また分詞構文がやたら多く、フランス語やイタリア語なら性数が変化するだけですが、ラテン語は格も変化してそれぞれ意味も変わってきます。

語順はかなり自由なので(形容詞が形容する名詞と前後しているとは限らず、形容詞と名詞の間に別の関係ない言葉がはいってくることがよくあります)格の特定が命です。

それでも何となく感覚がつかめてきたかんじで、だいぶ以前にやった文章は比較的速く読めるようになりました。

ただ日本語にならすぐ訳せるけどクラスではイタリア語に訳していくのでかなり限界が。

ところでなぜ急にラテン語をあせって復習しているかというと、来学期にラテン語の先生が古典ギリシャ語の講座も開講なさるらしく、時間の都合がつけば受講したいからです。

ただ人数が集まるかどうか。

古典ギリシャ語は過去2回挫折しているのですが、初めのうちは過去の遺産でなんとか食えるかなあと思っています。

文法はラテン語と共通する部分が多いのでラテン語をしっかりやっていけばだいぶ助けになると思います。

それにしても実用性の全くない言葉を苦労して学ぶのって究極の道楽だと思うけど、これって勝間和代さんには到底理解できないだろうなあ。

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古代ローマにも大安や仏滅みたいなもんがあったらしい

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 今学期になったらラテン語の受講生がガクッと減りました。

ものの見事に若い順から半分スパッといなくなってしまい、急に平均年齢が上がりました。

実用性は全然ないし、易しいとは言い難いし、純粋に趣味として楽しめないと続かないです。

しかし、もしロマンス諸語を深く学びたいのであれば、ラテン語の勉強はとても有益だと思います。

 ところで以前習った先生もそうでしたが、古典学を専門的に学んだ人というのは実に博覧強記です。この学問の守備範囲が哲学や歴史、文学、神学など人文科学のみにとどまらず、数学や植物学など自然科学までおよんでいるためでしょう。

現在習っている先生もすごいです。受講生が少なくなった分のんびりムードが倍増し、先生の脱線トークも活発になってきました。教科書そのものをやっている時間より先生がウンチクを傾けている時間のほうが長いくらいです。(早く先に進んでも消化不良になってしまうし、先生の話がとても興味深いのでこの方が歓迎です)

先生はローマおたくといえるほどローマ時代に詳しいし(当たり前か)、日本人よりローマ人の末裔たるイタリア人のほうが、その土地で生まれ育った者の強みで言うことにも実感がこもっているし、有難味も増してきます。

 さて、クラスで使っている教科書は、ローマ時代の生活や習慣、制度などをラテン語を通じて学ぶという体裁をとっており、今やっている章は当時の暦がテーマです。

超がつくほど厄介です。

初期には太陰暦を用い、1年は10ヶ月にわかれていました。現在の3月が当時は第1の月とよばれ、4月が第2の月、5月が第3の月と続きます。

その名残で現在でもヨーロッパ諸語では9月から12月までは第7から第10の呼び方(英語ならSeptember~December)が残っています。

なぜ3月が第1の月かというと、この時期に農作業が始まることが主な理由ですが、先生によれば戦争もこの時期から始めたそうです。後にローマ神話の神の名が与えられますが、3月はマルス、戦いの神です。

さすがに1年10ヶ月ではかなりズレが生じるので3月の前に2ヶ月追加されました。1年の初まりの月、Ianuar=Januaryには2つの顔を持つヤヌス神が当てられました。2つの顔はそれぞれ新旧をあらわしていて、年の初めをかざるのにふさわしい神だそうです。

 さて、ジュリアス・シーザーは太陽暦であるエジプトの暦を参考にして大改革をおこないました。これがユリウス暦とよばれ、今日でもギリシャやロシアなど正教(オーソドックス)の国々で用いられているそうです。

ちなみに世界で一般に使われているグレゴリオ暦は、16世紀にユリウス暦を改良してつくられたものです。

ローマ帝国時代のカレンダーの読み方はややこしいことこのうえなし。

1日(ついたち)はkalendaeといいます。カレンダーの語源らしいです。

次の日を第2の日と呼ぶかと思えばさにあらず。月の第5日または第7日(月によって違う)をnonaeと呼ぶのですが、第2日以降はnonaeの~日前という言い方をします。(数えるときはnonaeを1日目として含めます。)

例えば1月のnonaeは5日ですが、1月2日だったら1月のnonaeの4日前(厳密にはnonaeから数えてさかのぼること4日前)といいます。nonaeの前日は文字通りnonaeの前日といいます。

そしてめでたくnonaeを迎えると、つぎにidusというヤツが。

これも月によって第13日だったり第15日だったりしますが、nonaeを過ぎると今度はidusの~日前といいます。

1月はidusが13日ですから、1月11日は1月のidusの3日前、12日はidus前日となります。

しかし厄介な本番はこれからなのです。

その月のidusまでは、例えば1月のidusまでは1月の何とかといいますが、idusを過ぎるともう次の月、つまり2月の何とかといわなくちゃならないんです。

1月のidus(13日)の翌日、1月14日は何と2月のkalendae(ついたち)の19日前(kalendaeから数えて)になっちゃうんです。

つまりidusの翌日からは、翌月のkalendaeの~日前というふうになります。

そうです。普通われわれは日にちを加算していきますが、ローマ人は目標となる日を定めてその日まであと何日(オリンピックまであと何日みたいな)と引き算していくのです。

ローマ人はよっぽど引き算が好きなようです。数字も99は100ひく1(un-de-centum)というし。

 ローマの暦には多様な文化が色濃く反映されています。ケルトやエトルリア、ラテンのみならず、ゲルマンやエジプト、また多神教とキリスト教などその時代時代の要素を取り入れ変化してきました。

 7月はユリウス(カエサル)、8月はアウグストゥス帝など支配者の名を冠したのみならず、8月は30日だったのをアウグストゥスがシーザーの月より短いのはヤダと31日にしてしまったり人間のドラマも垣間見えます。

 おもしろいのは、日本の大安や仏滅のような吉日、凶日があり、そのほかにも集まりの日などがあったそうです。凶日にはなにもやってはいけないとか、民会を開く日などそのカレンダー(日本の六曜みたいなものか)に基づいていたらしいです。

授業でkalendae(イタリア語ではcalende)が出てきたついでに、calendeを使ったイタリア語の言い回しを習いました。

andare alle calende greche

意味は約束の日や期日をチャラにするといったことのようです。借りた金を返さない、なんていうときに使うらしいです。何故ギリシャかというと、ギリシャの暦にはcalende(という言葉)が存在しないので、その日を期日にしても実現しっこないということらしいです。

 ところでこちらは英語のサイトですが、ローマ時代の暦について説明があります。

 ちなみに私は日本の旧暦復活を願っています。

日本の伝統行事の多くは旧暦に基づいているので、新暦でやると実際の季節とずれていてものすごく違和感を感じます。

 

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あけましておめでとうございます

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 あけましておめでとうございます。

 今年も皆様にとって良い年になりますよう、特に外国語を学んでいらっしゃる同志のかたがたの一層の飛躍をお祈り申し上げます。

 今年の決意。

1: NHKラジオ講座を毎日聞くこと。

  いつも録音を溜め込んでしまって結局聞かないことが多かったので、今年はその日のうちに聞きます。

2: Le MondeLa Repubblicaの記事を毎日ひとつずつちゃんと読むこと。

  これもプリントアウトだけして読まずに溜め込むことのないように、その場で読みます。

3: ラテン語の復習をちゃんとやって、格変化や動詞の活用をしっかり覚えること。

  授業の進み方がゆっくりしているとはいえ、既にいろいろな型の名詞や形容詞がでてきて、格変化を全部ソラでいえなくなってしまいました。ハイ、授業当日しか教科書を開かなくなってしまいました。せめて翌日も開いて復習します。

 あまりいろんなことを宣言しすぎても計画倒れになってしまうので、この3つだけにしておきます。

 それにしても、今までこんな簡単なことすらできなかったっていうのは何たる意志の弱さよ。どんどん上達する人って、このような小さな積み重ねをちゃんと続けられるんだろうなあ。

 それでは皆様、本年もよろしくお願い申しあげます。

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外国語の数え方はいずれもやっかい

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 この間、ラテン語で数字の99の言い方を習いました。

ローマ数字ではICと書き、undecentum(ウーン・デー・ケントゥム)と読みます。100から1つ離れているというような意味らしいです。

 そう、引き算なんです。

 ローマ数字なんか時計の文字盤ぐらいしかお目にかかりませんが、ラテン語はアラビア数字を使いません。

 IC(99)のCはcentum(ケントゥム)の略で100を表します。イタリア語のcento、フランス語のcentの語源です。

 ちなみにアラビア語でもアラビア数字は使わず、アラビア文字の数字(何と呼んだらいいんだ)で書きます。アラビアで使わないアラビア数字ってウィーンじゃ飲まないウィンナーコーヒーのようなもんですかね。ウィンナーソーセージもウィーンじゃ食べないと思います。そういえば、この前テレビの番組で、イタリア人がスパゲッティーナポリタンを食べさせられていました。もちろんナポリにはありません。

閑話休題

 外国語の数え方は実に厄介です。中でも一番取り沙汰されるのが、かの都知事も話題にしたフランス語の数え方でしょう。

 ご存知の方も多いと思いますが、80quatre-vingts(キャトゥルヴァン)は20が4つ、90quatre-vingt-dix(キャトゥルヴァンディス)は20が4つに10を足すというような意味です。

 しかし、実際はこのように分解して覚えようとしてもかえって混乱するだけですから、ひとつの長い単語として丸ごと覚えたほうがいいです。

 なぜこんな変てこな数え方をするかというと、とあるフランス人から聞いた話ですが、ローマに征服される前のガリアでは20進法だったんだそうです。ところがローマは10進法だったのでその数え方が取り入れられたのですが、なぜか80から99までは以前の数え方が残ってしまったそうなのです。ただ読み方はquatre(4)もvingt(20)もdix(10)もそれぞれラテン語のquattuor,viginti,decemからきていると思います。60から79までの数も、60といくつという様に数えるので、(79なら60と19)これも20進法の名残かもしれません。

 某都知事が、フランス人の計算能力について、かなり失礼な発言をしていましたが、たしかに彼らは暗算があまり得意ではないようです。しかも不思議なことに、割り勘にすると、なぜかいつも自分が得をするように間違えるのです。

 フランス人と割り勘するときはくれぐれもご注意ください。

 しかし算術と数学はまったく異なるシロモノです。暗算は苦手だという人が多い一方で、偉大な数学者もあまた輩出しています。抽象的な思考が得意なのでしょう。

 私がいまだに苦手なのはドイツ語の数え方です。1の位が10の位の前に来るのです。22(zweiundzwanzig)だったら2と20というふうにいいます。222だったら200と2と20と言います。最初に2と聞こえても、これが単なる2なのか、22の2なのか、200の2なのか、2千の2なのか、2万2千(2und20tausend)の2なのか、2百万の2なのか220万(2und20Millionen)の2なのかわからないのです。

 ふ~ぅ。

 そういえば、アラビア語も1の位が先にきました。

 いずれにしても、数字は厄介です。

 

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ラテン語の本は古典のみにあらず

Regulus Book Regulus

著者:Antoine de Saint-Exupery
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 ラテン語の本というと、セネカやキケロなどの著作や中世キリスト教神学の文献など、古くさいしとっつきにくいというイメージがあります。

 ところが、いくつかのベストセラーがラテン語訳で出ているのです。

「星の王子様」のほかにも「ハリーポッターと賢者の石」、

Harrius Potter et Philosophi Lapis (Latin language edition) Book Harrius Potter et Philosophi Lapis (Latin language edition)

著者:J.K. Rowling
販売元:Bloomsbury Publishing PLC
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「くまのプーさん」

Winnie Ille Pu Book Winnie Ille Pu

著者:A. A. Milne,Alexander Lenard
販売元:E P Dutton
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などがあります。

 ニューヨークタイムスのベストセラーリストに入った唯一のラテン語の本が、この「くまのプーさん」だそうです。シカゴトリビューンの書評では、キケロとシーザーとウェルギリウスをあわせたものより興味をかきたてられると書かれたらしいです。

 これらの小説以外にも、ミッキーマウスやアステリックスなど漫画のラテン語バージョンもあります。

 ラテン語の先生(イタリア人)によると、このようなエンターテインメント系の作品をラテン語に翻訳するのは、主に北ヨーロッパ人だそうです。

 南ヨーロッパ人、とりわけイタリア人は、言葉が一番ラテン語に近いですし、リチェオ(中高等学校)では必修なので、他の国の人たちより身近に感じていると思いますが、彼らにとっては神聖かつ冒すべからざる言語なので、ミッキーマウスをラテン語に翻訳するなどとんでもないことらしいです。

 ラテン語イコール格調の高さであることに加え、これはあくまで私の想像ですが、宗教上の問題もからんでくるのかもしれません。何といってもラテン語とカトリックは密接につながっています。聖なる存在について語る気高い言語でクマだのネズミについて物語るのは、神を冒涜するに等しいと感じるむきもあるのかもしれません。

 こんなところにもカトリック文化圏とプロテスタント文化圏の違いがみえておもしろいです。

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風呂おけに冠詞をつけるのも単純ではない

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 イタリア語でラテン語習ってます。さすがイタリア語の先祖だけあって、単語が共通しています。現代イタリア語では意味がずいぶんかわっているものも多いですが、原義をたどれるのでとても勉強になります。

 クラスでは、生徒が次々とラテン語の文章をイタリア語に訳すのですが(といってもまだ初級なので簡単なものです)、厄介なのが冠詞の処理です。

 日本語と同様にラテン語には冠詞がありません。したがって、イタリア語に訳すときには名詞に冠詞をつけなければならないのです。

 先生によれば、我々が冠詞の使い方を学ぶのに、このラテン語伊訳がとても良い方法だそうです。

 ふつう、イタリア語の学習で一番むずかしいのは接続法だと思われていますが、文法上の規則がきちんと決まっているので、勉強すれば使いこなせるようになるそうです。

 一方、冠詞は(もちろん基本的なルールはありますが)感覚的なものなので、規則として一般化できず、教える側にとってもむずかしいとおっしゃっていました。

 冠詞のある言語でも、それぞれ使い方がずいぶん違います。

 英語では「I am a student.」と不定冠詞がつきますが、属性をあらわす時、フランス語もイタリア語もドイツ語も冠詞はつけません。

 この例のように、すでに規則となっているものは理解しやすいですが、話者の感覚で使い分けている場合、ネイティブでないと、このニュアンスの違いはなかなかわかりにくいです。

 冠詞の使い方の違いが、国際問題にまで発展してしまう例もあります。 

 パレスティナ問題を解決するための安保理決議で、フランス語の決議文では「占領地」に定冠詞がついているのに対し、英語の文には冠詞がついていないそうです。それによって、各陣営の占領地の解釈が異なってしまい、問題がかえって紛糾しているそうな。

 先生が、ひとつ例をあげて、いかに感覚的に冠詞を使い分けているかというのを示してくださいました。

 とある居間を描写するとき、ソファやテレビ、カーペット、カーテンなど、どこの家の居間にもあるようものには定冠詞をつけるそうです。

 しかし、もし居間に風呂おけがあったら、不定冠詞をつけてuna vasca da bagnoとするそうです。つまり、一般的概念に合致するものには定冠詞をつけ、はずれたものには不定冠詞をつけるらしいです。したがって、浴室を描写するのであれば、風呂おけには定冠詞をつけるわけです。

 先生が日本の住居を描写する時、結構冠詞の使い方に悩むそうです。日本人だったら、床の間や仏壇は当たり前なので定冠詞をつけるのでしょうが、外国人にとっては、何があって当然で何が当然でないか判断がむずかしいのでしょう。

 結局、話者が定冠詞を使うか不定冠詞を使うかで、対象との心理的な関係をニュアンスとして伝えるようです。

 このように使いこなすことなど私には到底できません。

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復習しないうちに新学期が

Lingua Latina Familia Romana Pars I Book Lingua Latina Familia Romana Pars I

著者:Hans H. Orberg
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 いつのまにやら夏休みが終わってしまいましたよ。

 夏の間にちゃんと復習をしてきっちり新学期に備えよう、っていうのは嘘ですが、学習日記のようなものでも記せば少しは忘却曲線もなだらかになると思って当ブログを始めたのです。しかしポルトガル語という予想もしなかった伏兵が。以後暇さえあればポルトガル語のサイトをあちこち見て時間をつぶしています。

 まあ別に必要があって外国語を学んでいるわけではなく、このブログのタイトルのところで書いているように純粋に趣味であちこちかじり散らしているので、どの言葉をいついつまでにマスターしなければならないなどという制約はいっさいありません。また目標はどこまでといった到達点も定めていません。やりたい時にやりたい言葉を学ぶという方針をとっています。ポルトガル語と再会できたのも偶然で、いわば御縁があったのでしょうから、これからはこの言葉とも親交を深めていきたいと思っています。

 最近、ポルトガル語の他に再会というか再開した言葉はラテン語です。

 みなさんご存知のように今や誰も話さない死語です。もちろん宗教上の儀式や酔狂度ナンバーワンの国、フィンランド(大好きな国です)で放送しているラテン語ニュースはありますが、日常語としてはもはや使われていません。

 習ったのはずっと前のことですが、そのときは極めて伝統的なやりかたで習いました。つまり半年ちょっとで文法を終わらせ、動詞の活用も格変化もろくすぽ覚えていないのに後はひたすら和訳です。したがって動詞と格の変化表は片時も手離すことができません。

ラテン語にしろ古典ギリシャ語にしろ、日本で出された教科書は古典学か哲学のえらい(つまり若くない)先生によって書かれ、対象もこれらの学問を学んでいる(つまりちょっと浮世離れした)大学生です。

 だいたい哲学や古典学の権威といえば、黴臭い書物にうめつくされた研究室や書斎に日がなとじこもって、現代の俗悪きわまりない日常生活からかけ離れた日々を送っている、といったイメージで、ユーモアとか冗談とも縁がなさそうです。もちろん駄ジャレなどご当人としては精一杯の冗談をおっしゃるときもありますが、いわれた者としてはなんと対応したものか、ただただ顔をひきつらせるのみです。

 といった具合で、このような先生方の書かれた教科書の内容はご想像いただけると思います。

 ただ、ラテン語とはなんとなく疎遠になってしまったものの絶縁したつもりはなく、いずれ老後の楽しみにと考えていました。ところが、イタリア語をはじめてから古典文学やとりわけイタリア語史にふれるようになって、イタリア語はラテン語の長男(というか跡取り息子)であり、イタリア語やイタリアの文化をより深く学ぶためにはラテン語とローマの歴史を一応たしなんでおいたほうがよいと思うようになりました。

 たまたま通っているスクールで、のんびり2年かけてラテン語の初級を終えるコースが始まったので、これだったら負担になることもなかろうと再び習い始めたのです。

 使っているのは"Familia Romana"というタイトルの教科書で、デンマークの中高等学校で長年ラテン語を教えてきた先生によって書かれたものです。ヨーロッパ各国の学校で多く使われているそうで、苦労せずに知らず知らずの間にラテン語が身につくように作られているというふれこみです。本文はもとより脚注や文法の説明もすべてラテン語のダイレクトメソードですが、初心者でもちゃんとわかるように書かれています。動詞はいきなり全部の人称がでてくるのではなく、始めのうちは3人称単数と複数しかでてきません。そしてしつこいほど何度も何度も言葉をかえて前置詞と格の組み合わせがでてきて、自然に格変化が覚えられるようになっています。

ところでこの本の内容がものすごく愉快なのです。

 主人公はローマ市民のIulius、妻と息子2人、娘1人の家族です。使用人が100人いるのがご自慢です。しかし長男のMarcusはとんでもない悪ガキで、妹をぶん殴ったりブス呼ばわりしては泣かせ、弟を水槽につきおとして溺れさせ、その度に両親からお仕置きされます。

 使用人の中にも手癖の悪いものがおり、主人のお金をくすねて愛人の許にしけこんでしまいます。その他の使用人にしてもさほど主人を敬ってはいないようで、Iuliusが眠っていると

”Ecce dominus iam dormit..Is me non audit"
それ、ご主人様は寝てるぜ。俺のいうことなんか聞いていないさ。

と悪口を言い放題です。そして最後に

Dominus qui dormit a servis non timetur.
寝ている主人は召使に怖がられない、

と格言めいた文で終わっています。

 この本ではラテン語のみならず、ローマ時代のイタリアや人々の暮らしも楽しく学べるようになっています。

 著者によるテキストの朗読もあります。録音当時、かなりの年配だったようですが、喋り方がブラジルの詩人Vinicius de Moraesに似ていてすごく味があります。

Lingua Latina: Familia Romana Book Lingua Latina: Familia Romana

著者:Hans Orberg
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