ラテンアフリカ

カーボヴェルデの音楽

ヴォス・ドゥアモール Music ヴォス・ドゥアモール

アーティスト:セザリア・エヴォラ
販売元:Rambling Records
発売日:2004/03/11
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 ポルトガル語の授業でアフリカの旧ポルトガル植民地Cabo Verdeについての話が出た時、そこの音楽でMornaというのがあると教わりました。

ポルトガルのFadoやブラジルのModinhaがあわさったようなタイプの音楽で、伴奏はピアノ、ヴァイオリン、カヴァキーニョ(ウクレレみたいな楽器)アコーデオンなどのアコースティックな楽器です。ポルトガル語が変化したクレオール語で歌われます。

独立以前はポルトガル当局から国民的音楽としての地位を与えられていたようです。

上に掲げたCesaria Evoraは国を代表する歌手で(アマリア・ロドリゲスや美空ひばりみたいな)、いまやインターナショナルな存在で日本でもコンサートを行って以来人気があるそうです。"Sodade"(クレオール語でsaudadeのこと)のヒットで国際的な地位を確立しました。

Ildo Lobo(1953-2004)は惜しくも4年前に亡くなりましたが、彼もまた国民的なモルナ歌手でした。

 カーボヴェルデは面積4000平方キロメートル、人口50万の小さな国であるにもかかわらず、音楽はMorna以外にもFuna'na,Funacola、Batuqueなどジャンルも幅広く、それぞれから多くのアーチストを輩出しています。

Fna'naはもともとアコーデオンとferrinhoと呼ばれる金属を打ち鳴らす打楽器の伴奏による単旋律の音楽でした。歴史は浅く、20世紀にサンチャゴ島にアコーデオンがもたらされてから生まれた音楽らしいです。国家独立以前、Mornaがポルトガル権威筋から高いステータスを与えられていたのに対して、funa'naは”卑俗な(つまりアフリカ的な)”音楽として低い地位におしとどめられ、首都では禁じられていました。日の目をみたのは独立後です。

Funa'naがMornaに匹敵するジャンルに成長した背景には、70年代に入ってCatcha'sBulimundoがジャズやクラシックの要素をとりいれ、伴奏もギターやドラム、シンセサイザーなどを導入して若者の間で広まったことや、フランスでランバダに続く大ヒットとなり、国際的な地位を確立したことにあるようです。

ダンスのジャンルとしてのFna'naもあります。こちらの映像はショーダンスとして撮影されたもののようで、民衆の踊るものはもっとダイナミックです。

Bulimundoから分かれたFinac'onはFuna'naにColadeira(Mornaの変種)をフュージョンさせたFunacolaという新しいジャンルをうちたてました。

 Batuqueはカーボヴェルデの音楽で一番古いジャンルといわれています。もともとは女性のダンスミュージックだったそうで、Funa'na同様独立以前は低い地位におしとどめられ、首都では禁じられていたらしいです。リズムに特徴があるようです。80年代にOrlando Panteraが現在の形であるNeo-Batukをうちたてましたが、彼自身は録音を残すことなく、2001年に亡くなってしまいました。

現在BatuqueのアーチストというとPanteraの次の世代です。TchekaLuraのほかにMayra Andradeというインターナショナルに活動している歌手がいます。

彼女はキューバ生まれで父親がカーボヴェルデ人です。ブラジル音楽からも多大な影響をうけており(実際アレンジをブラジル人が担当することも)、音楽によってはブラジル的な響きがします。現在フランスに住んでおり、シャルル・アズナブールとも共演しています。

(ポルトガル語ですがインタビュー記事がありました。)

彼女の歌がフォルクロールというよりはヨーロピアンポップミュージックと呼んだほうがふさわしいのに対し、TchekaやLuraの歌は現代風ではあるけれど土着の香りを色濃く残しています。

 こちらのサイトはフランス語ですが、音楽をはじめカーボヴェルデのさまざまな情報がのっています。

 こちらはアフリカの主だったアーチストのパーフォーマンスが見られます。

 またアーチストに関する情報や試聴はこちらでどうぞ。誰か一人を検索すると、その人と同じジャンルのアーチストを検索できるようになっています。言語は多少選べます。

 

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アンゴラの音楽事情

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 ジャヴァンが初めてアンゴラツアーをおこなって以来、特に首都ルアンダではカリスマ的存在らしいです。アンゴラのアーチストともよく共演しているようです。

 こちらはアンゴラで最も人気のあるグループのひとつ、SSPが最近ニューアルバムをリリースしたという記事ですが、アンゴラとブラジルで録音を行い、ブラジルではジャヴァン親子も参加したそうです。何曲か試聴できます。ビデオクリップは画像がコマ切れになってしまいますが。

 アンゴラといえば、内戦時代に社会主義政権MPLAを支援するためにソ連とともにキューバも大量の義勇兵を送りこんできました。

キューバといえば音楽大国です。当時大勢のキューバ人がいたということは、アンゴラの音楽に何らかの影響をおよぼしてもおかしくないと思い、少し調べてみました。

 するとやはり1980年代の初めに、特にキューバンルンバの影響をうけたことがわかりました。社会主義政党であったMPLAは同様に社会主義国家であるキューバの音楽を奨励していたことが大きな要因でした。民族的色合いの濃い他のアフリカ旧ポルトガル植民地の音楽と異なり、ラテンミュージックの影響をうけたアンゴラの音楽はインターナショナルな性格をもち、音楽ビジネスでかなり成功をおさめているようです。

 今日のアンゴラではヒップホップが全盛のようで、それ専門のサイトがあります。

 アンゴラも他のアフリカ諸国と同様地方と都市の格差ははかりしれないと思いますが、首都ルアンダではかなり文化的に刺激がありそうです。こちらのサイトでは音楽や演劇から文学にいたるまでアンゴラの文化全般の情報が得られます。

 こちらはアンゴラの主だったアーチストの動画がみられます。

  結構日本にいながら今日のアンゴラが垣間見えます。

  

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ジャヴァンとアンゴラ

Djavan『Seduzir』 Djavan『Seduzir』

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 前回アンゴラの首都がルアンダであると学んだとき、そういえばジャヴァンDjavanのアルバムSeduzir(誘惑)にLuandaという歌があったのを思い出しました。それまでフツ族とツチ族の紛争のあったルワンダRwandaと混同していたので歌詞も読まずに(歌詞カードはポルトガル語のみだったので)争いと平和かなんかの歌だと勝手に思い込んでいました。

 そこで今回ちょっと調べてみました。

 1980年ジャヴァンはコンサートツアーで初めてアンゴラに行きます。そこで非常に大きなインパクトをうけ、以後彼の作品はアフリカ色が加わるようになります。

 アルバムSeduzirはこのツアーと同年に発表されました。彼のアフリカに対する思い入れがもろに表れており、ブラジル人である自分のルーツがアフリカにあったという新たなアイデンティティーの発見の感動がうかがえます。

 Luanda(歌詞はこちら)というタイトルの歌の中に、

Num grito da Mae Oxum
Dizendo:
Menino onde e' que tu anda
Eu te batizo africamente

「どこへいくのかい、坊や。お前をアフリカ式に洗礼してあげるよ、と母なるオシュンは叫ぶ」

というくだりがあります。Oxum(OsunまたはOshun)とはナイジェリアの河で、ヨルバ神話では河の女神として登場します。ブラジルでもカンドンブレ(主にアフリカ系ブラジル人の間で信仰されている民族宗教)の神として信仰されています。

 DjavanはこのOxum神の中にブラジルとアフリカをつなぐ強い絆を見出したのではないでしょうか。

 またこのアルバムの最後はアンゴラの土着語であるKimbudu語の歌"Nvula ieza kia"とUmbundu語の歌"Humbiumbi"(アンゴラでは日の出を告げる小鳥らしいです。こちらで聴けます)で締めくくられています。

 他は全曲ジャヴァンの作詞作曲ですが、これら2曲だけアンゴラのアーチストだと思いますがFilipe Mukengaという人の作です。

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アンゴラについてちょっと学ぶ

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 ポルトガル語の教科書”Navegar em Portugues”はまだ2課をやっています。 

 14歳のBruno君がアンゴラのおばあちゃんのところでクリスマス休暇 as fe'rias de Natalを過ごします。

 おばあちゃんは一年ぶりに孫にあって

"Acho-te tao crescido,meu filho?"「ずいぶん大きくなったんじゃない」と驚きます。Bruno君はまだまだ育ちざかりなのです。

 そのくせ生意気にもアンゴラに前から付き合っていたLauraというnamoradaカノジョがいて"Por que razao nao me tens escrito?"「何で手紙くれないのよ」となじられています。

 Brunoは”Bom...nao te tenho escrito porque tenho tido muito trabalho!"「えーと、手紙を書かなかったのは勉強がいそがしかったからだよ」と苦しまぎれです。

 Lauraもおませさんで"Ainda me amas?"「私のことまだ愛しているんでしょ」なんてせまります。

 Brunoは調子よく"Claro que so' te amo a ti! O' meu amorizinho! E' o'bvio que nao fiz outra coisa senao pensar em ti!"「もちろん君だけを愛しているよ,愛しい奴!君のことをひたすら思ってるってわかりきったことじゃないか」

 とても14歳の子供が言うセリフとは思えません。Bruno君はなかなかすみにおけないヤツのようです。Lauraがuma antiga namoradaと定冠詞ではなく不定冠詞つきのカノジョなので他にもぞろぞろガールフレンドがいるらしいです。

 ところで教科書にはBruno君のおばあちゃんが住んでいるアンゴラについてちょっとした三択クイズがあります。

首都:Luanda  Belfast  Brasilia

隣国:Quenia  Zambia  Argentina

主要な産出物:o carvao石炭 a prata銀 o petroleo石油

主要な輸出品:carros車 diamantesダイヤモンド avioes飛行機

1:首都は消去法でルアンダとわかりますが、いままでフツ族とツチ族の紛争から内戦になったルワンダと混同していました。ルワンダのスペルはRwandaです。

2:アンゴラは西アフリカですから東アフリカのケニアの隣ではありません。ザイール、ザンビア、ナミビアと国境を接しています。

3:石油です。北部で採れますが、冷戦後、キューバとソ連の支援を受けていた政府軍MPLAの資金源となりました。

4:どういう意図でこの設問を考えたのかわかりませんが、ダイヤはアパルトヘイト国家南アフリカの支援を受けていた反政府勢力UNITAが南アフリカの民主化によって後ろ盾を失った結果、貴重な財源となりました。

 アフリカの紛争とダイヤの関係はディカプリオ主演の映画「ブラッド・ダイヤモンド」のテーマにもなっています。

アンゴラと聞くとむごたらしい内戦のことしか思いうかびませんが(死者360万人ともいわれる)2002年に一応内戦は終結しました。今では市民は日常の生活を送っているはずです。子供たちだって毎日学校に通ったりサッカーをして遊んだり、他国の子供たちと同じような毎日を送っているのではないでしょうか。

 ところがネットでアンゴラと検索しても、悲惨な内戦に関する事柄しかのっていないのです。Bruno君の話はもちろん架空でしょうが、日本にいるとなかなか素顔のアフリカを知ることができません。

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ポルトガル語でアフリカについて学んでます

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 早速"Navegar em Portugues"の1課やっています。

講読のテキストが短いものですがたくさんあって充実しています。レベルとしては、既に入門コースを終えた人向きだと思います。

この課ではアフリカのモザンビーク、ギニア・ビサウ、サントメ・エ・プリンシペが取り上げられていました。モザンビークは南アフリカの北東、ギニア・ビサウはセネガルとギニア(サンコンさんの祖国)の間、サントメ・エ・プリンシペはカメルーンやガボンの西の海上にある諸島です。どれも15世紀の大航海時代に発見され船の中継所として植民されたそうです。

これらの国々の公用語はポルトガル語ですが、人々は日常ポルトガル語と現地語が混ざった言葉CRIOULOを話します。

この課ではさかんにVasco da Gamaの名前がでてきます。EU加盟前はポルトガルといえばヨーロッパの後進国という位置づけで、大航海時代の栄光が唯一の誇りのよりどころでしたが、1課を読んだ限りでは今日でも相変わらず最重要の扱いのようです。

まあ世界の歴史の転換点を彼らがもたらしたわけですからむべなるかなということでしょうか。ただ植民地経営の負の部分もこの後の課で取り上げられているのか気になるところです。

  

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